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ロンドンから東京へ―イギリスがもたらした日本ストリートファッションへの影響
ええ、皆さんが考えてることは分かります。編集長がイギリス人だから 『The COMM』 には英国バイアスがかかっていること、認めます。でも、これから話す事は重要だからよく聞いて! 日本のストリートファッションの豊かな発展は、狭い世界の中だけではあり得なかったはず。なぜなら1940年代から原宿には、クリエイティブなシーンに大きな影響力をもたらす海外のコミュニティーがあったからだ。輸入品と好奇心旺盛な若者の組み合わせは大成功を収め、日本のストリートファッションが侮れないファッションの力であることは今や周知の事実だ。ストリートファッションと原宿エリアの形成に貢献したさまざまな流れについて調べてみると、ロンドンや、イギリス人デザイナーたちの名前が頻繁に出てくる。有名な『FRUiTS』 誌の創刊者である青木正一氏は、重要なインフルエンサーとしてChristopher Nemeth (クリストファー・ネメス) とVivienne Westwood
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ブランドの進化 80年代、90年代、そして現在
SUPER LOVERS (スーパーラヴァーズ) やX-GIRL (エックスガール) などのブランドは、原宿自体と同じくらい有名だ。90年代そしてそれ以前にも、彼らが日本のストリートファッションを形作ってきたのだ。変化の激しい原宿そして日本のストリートファッショントレンドの中で、これらブランドは何十年にもわたって頑張ってきている! MILK (ミルク) からHYSTERIC GLAMOUR
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大型ファッションビル、夢は大きく。ラフォーレ原宿と渋谷109の重要性
東京に昔からあるファッションビルの双璧、ラフォーレ原宿と渋谷109を知らない人はいないだろう。今や旅行者はもちろん、地元の人々にとっても不動の人気を誇る双方がこれほどの成功を収めたのは、単なる偶然ではない。ラフォーレが、原宿を「ファッションの街」にするための特別なこだわりを通してきたのはご存知だろうか? 渋谷109は、オープン当初は客足も少なく業績不振であったが、ESPERANZA (エスペランサ) のプラットフォームを身につけたスーパーヒーローのようなギャルたちが押し寄せ、危機を脱することができた。 ラフォーレ原宿 1977年まで原宿で最も人々の関心を集める場所といえば、参拝客数が例年平均5000人の明治神宮だった。だがたちまち全てが大きく変貌する。1978年、神宮前交差点にあのラフォーレ原宿がオープンし、あっという間に原宿は「ファッションの街」と呼ばれるようになった。でも、どうやって? その理由は思ったよりも深い。「ラフォーレ」という名前はフランス語で「森」を意味する “La forêt” から来ている。森というものは1本1本の木で構成されることから、木々 (各テナント) からできた巨大な森
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原宿関連の出版物: 知っておくべき日本のファッション雑誌8誌!
日本のストリートファッションカルチャーにとって、雑誌は長期にわたり不可欠なものだった。過去においては雑誌がファッショントレンドを決め、ギャルとロリータのようなファッショングループを作り上げるきっかけとなった。ときには、だれかの目新しい洋服のスタイリングを見ただけで、雑誌がこれを新しいファッションサブカルチャーだと名付けあおったものだった。読者は雑誌が「旬」と認めたものを確認し、その雑誌を中心としたコミュニティーを作った。今日、私たちはデジタル時代にいるが、原宿はそういった出版物のおかげで現在の形になったのだ。日本発祥の最も伝説的なストリートファッション雑誌の概要を見てみよう! CUTiE 雑誌『CUTiE (キューティ) 』は1989年に発行された。これは「平成ブランドブーム」が出現した平成元年にあたる。プロのモデルと高級ブランドが廃れ、代わりに読者は自分たちのような女の子を中心とした写真を期待するようになった。『CUTiE』は『宝島』からスピンオフした、1980年代におけるパンクとニューウエーブの若者文化の雑誌で、The Clash (ザ・クラッシュ) やSex Pistols (セックス・ピストルズ) などのバンドの記事やVIVIENNE WESTWOOD
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原宿は死んだままなのか?:『FRUiTS』 のその後は?
1997年に青木正一氏は、日本のストリートファッションを紹介するための世界的な雑誌となる『FRUiTS』を創刊した。ところが2017年、創刊以来ずっと日本のストリートファッションを記録しつづけてきた同誌の休刊が発表される。「オシャレな子が撮れなくなった」 という青木氏の発言が伝えられるとネット上で大騒ぎになる。『The COMM』も含めた誰もが、氏の言葉の真意を明らかにしてほしいとコメントした。クールなファッションの人は、もはやいないということ? それとも、ストリートファッションは超ダサくなったから、青木氏はもうスナップを撮る気が湧かなくなったのだろうか。 『FRUiTS』誌 は青木氏の初めての雑誌というわけではなかった。実際、彼は1980年代から90年代にかけて『STREET』誌を数年間手がけた後、活動の拠点を東京へ戻すことにした。『STREET』や『FRUiTS』、『Tune (『FRUiTS』 の後に出版) 』。これらの雑誌のコンセプトはストリートにおけるサブカルチャー的ファッションを記録することだった。ファッションは、もはやファッションショーだけに限定されたものではなく、上流階級の目を楽しませるだけのものでもないことに青木氏は気付いたのだ。ファッションとは、着る人自身の心をストリートにおいてリアルタイムで表現するもの。東京の若者の愉快でフレッシュなファッションは、世界中の人々の注目を集めた。日本での雑誌の人気が高まりつづけるなか、イギリスのPhaidon社が『FRUiTS』からのベストショットを集めた写真集を出版した。幅広い読者層を想定して英語に翻訳されている。こうして『FRUiTS』は多くの人々に知れ渡っていった。時代の変化と共にインターネットが普及すると、『FRUiTS』からのスナップがLiveJournal (※) のようなフォーラムで広まり、Tumblrでは数えきれないほどリブログされるようになる。『FRUiTS』のデジタル化はすでに始まっていた。 ※ブログサービス名 Image
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ベッドルームツアー: 青春、アイデンティティー、オルタナティブスタイル
子どもの頃のお姫様のようなピンク色の壁を、マットな黒のペンキで塗り潰すのは爽快だ。協力的なお母さんは自分の赤ちゃんに個性が出てきた、と満面の笑みを浮かべていたかもしれない。お父さんは? しかめっ面——ゴシック調のインテリアが嫌いであることは間違いない。自分のベッドルームを案内するのを楽しみに、あなたは親友を招待し、天井まで不規則に貼られたアニメのポスター、大好きなバンドのアルバム、イケアのレースカーテンなどを見せて回った。 それ以来、さまざまな装飾を試してきた。『Twilight (トワイライト)』を祭るほこらには、ワイン (血を再現するクランベリージュース) を用意。次は黒では味気ない、とサイケデリックなレインボーの部屋に。しかし、ベッドと壁の間には、あなたの最も深く暗い秘密が隠されている——感情のまま書き散らした日記や元カレへのラブポエム。自分がほぼ完全にコントロールできる空間であるベッドルームの模様替えは、どれも自分らしさを表現しているのだ。 Image courtesy of The Fader. ベッドルームはコミュニティーに欠かせない、安全な空間だ。人生には良い時も悪い時もある。部屋で過ごしたその幸せな時間と悲しい時間が、今のコミュニティーを形成する経験となっている。ベッドルームはコミュニティーが自分たちの人生を記録するためのキャンバスなのだ。 ほとんどの人がベッドルームを最初の探求と実験の場にしたのは、そこが自分の部屋と呼べる最初の場所だったからだ。多くの場合、10代前半の自己表現でまず犠牲になるのは壁——プリクラ、芸能人の写真、雑誌の切り抜き、落書きなどが壁一面に散らばっている様はまるでごちゃごちゃのギャラリーだ。オルタナティブファッションに出会ったばかりの人にとっては、ベッドルームは家の中で自分を存分に表現できる唯一のプライベート空間なのだ。親や兄弟はあなたがわざとタイツを破いたり、長い髪を刈ったりする理由をいつも理解してくれるわけではない。同じように、実家の自分の部屋以外がすべてベージュである理由もわからない
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『アダムス・ファミリー』: 水曜日生まれの子は不幸
Charles Addams (チャールズ・アダムス) は米国ニュージャージー州で育ち、父から絵を描くよう勧められた。地元の墓地を散歩するのが好きで、雑誌 『True Detective (トゥルー・ディテクティヴ)』 のレイアウト部門に就職した。Addamsに関しては多くの噂があったが、ほとんどが不気味なものだった。棺桶の中で眠るとか、家にギロチン台があるとか、オリーブの代わりに眼球入りのマティーニを呑むとか。しかし、これらの噂の出どころはわからない。実はこれが、Addamsが作りだしたダークなキャラクターにいくらかの信ぴょう性を与える結果につながった。彼を知る人によると、Addamsには比類のないユーモアのセンスがあり、どこかUncle Fester (フェスタ―おじさん)
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ゴシック vs クラシック: ロリータの持つ興味深い二面性
ゴシックロリータとクラシックロリータは、ロリータファッションの中で対極に位置する。ゴシックロリータは、ダークでキュート、かつ大胆さがあり、クラシックロリータは、おとぎ話の世界のような、ロココ様式で上品な雰囲気だ。1つのコインに表と裏があるように、この異なる2つのロリータは、人間の本質を見事に象徴している。わたしたち人間には、光があれば闇もある。そのことを、これ以上ないくらいに的確に反映しているのが、Robert Louis Stevenson (ロバート・ルイス・スティーブンソン) の『The Strange Case of Dr. Jekyll
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『Death Note』: 悪 vs 悪?
高校生が悪の世界を浄化する使命を担う。世界的に有名な探偵が、情け容赦なく容疑者を追い詰める。天才少年と社会性が欠如しているスイーツ好きな男の、追いつ追われつのゲームが、最高に人気のあるマンガになるとはだれも予想しなかった。主人公の月 (ライト) は、デスノート (名前を書き込むことで、人に死をもたらす不気味なノート) を拾い、ユートピア実現のために犯罪者を抹殺することで神のようにふるまい始めた。彼に憑いてまわる相棒は、デスノート本来の所有者でリュークという名の死神だ。一見したところ善と悪の物語のようだが、よく読むと全ては見た目とは違うことに気が付くだろう。 他人の目から見ると、全ての成績が最高評価の夜神月 (やがみライト) は、完璧のように見える。彼は勤勉であり、問題解決能力に優れ、仲間には人気があり、家族に愛されている。しかし心の中では世間を忌み嫌っているのだ。デスノートを見つけてから、月はただちに腐った世の中の犯罪者を排除する。極悪人を一掃することで正義を求めることは、だれもが理解できることだ。しかし月は独善的なゴッドコンプレックス (自己愛性人格障害) により堕落する。犯罪者を殺すことで、月も同じく邪悪な存在となっている。だが、おもしろいことに月には分かっていた。「キラを捕まえればキラは悪、キラが世界を支配すればキラは正義」ということを。そしてだれでも彼を「キラ」(新聞社により月にこの呼び名が付けられた) の正体だと暴く可能性があれば殺される。月は初めからソシオパスだったという一部のファンもいる。 Image
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ネットバッシング: ポップカルチャーにおける真の悪者は誰?
近頃は、大した悪事を働かなくても悪者と見なされるようだ。有名人ともなれば、少しの不適切な行動すら非難を浴びるきっかけになる。わたしたちにとっては有名人の落ち度を指摘するのは簡単で、実際とても楽しいものかもしれない。だが果たして、わたしたちに人を批判する権利はあるのだろうか? Logan Paul (ローガン・ポール) の名を聞けば、ある種の有名人は悪者になるために生まれてきたと思ってしまうだろう。彼のYouTube動画は当初から反感を買うようなもので、ヴェネツィアでは運河に飛び込んだり、東京では大きなモンスターボールを寿司屋の店員に投げつけたりしていた。中でもこれまでで最も議論を呼んだのは、日本の自殺の名所として知られる樹海で遺体のそばに立つ自身を映した動画ではないだろうか。Logan Paulは随分と昔に、嬉々として悪者の人格を身に付けたようだ。 Image courtesy of New York Times. Kim
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ギャルは楽しみたいだけ!
アムラー、ルーズソックス、チョベリグ、パラパラダンス、『egg (エッグ)』誌、『Cawaii! (カワイイ!)』誌、ギャルサークル、浜田ブリトニー。「ギャル」と聞くとこれらの言葉を連想する。そればかりでなく、不良少女、児童買春、物質主義、消費主義、不品行という言葉も。1990年代初めにコギャルによって発信されたそのスタイルは、2000年前半にピークを迎え2010年代に再び盛り上がりを見せたが、ギャルの基本要素 (日焼けした肌、ミニスカート、染めた髪) の大部分は初めの数年で定着した。 多くの欧米人が、ギャル人気をSpice Girls (スパイス・ガールズ) やBritney Spears (ブリトニー・スピアーズ)
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「もっと自分を好きになろう」: ラディカル・セルフ・ラブのすすめ
メディアはわたしたちが自分自身を愛することを奨励している。しかし、だれかが実際に自分を愛していると言うのを最後に聞いたのはいつだろう? 過酷で不規則な仕事から生じるストレスは、わたしたちのメンタルヘルスを悪化させる。「行け! 行け! 行け!」ばかりで 「私! 私! 私!」があまりに少ない。ラディカル・セルフ・ラブ (過激な自己愛) がメンタルヘルスの問題を扱う人々にとって最新の話題で、最後の切り札となっているのも当然だろう。Demi Lovato
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素晴らしい愛ではなく素晴らしい友を探した方がいい?
映画を見ていても、Instagramのフィードをスクロールしていても、そこには必ず真実の愛を持つ人との幸せがある。大人になると、人々は「運命の人」を探すために多くの感情を注ぐが、数年後には映画のような惚れた腫れたの関係ばかりではないことに気づくことになる。悲しいことに、わたしたちは友愛よりも恋愛や仕事などのやるべきことを優先してしまうのだ。今こそ、焦点を移す時なのかもしれない。実際にそばにいてくれる人たち——友人に。 多くの映画では、若い女性が真実の愛を見つけようとする姿が描かれている。彼女たちの親友はそれに付き合う脇役として登場する。こういった物語では、友人は背景の一部のように見えてしまう。しかし、映画業界は友人関係にあまり重要性を持たせないことで、複数の人と強い絆を築いて人生を豊かにする必要はないと伝えているのだ。その役目はただ一人の「運命の人」が担うのだから。 恋人は移り変わるものかもしれないが、友情は永遠だ。何ヶ月も (あるいは何年も!) 友人と話をしないでいても、いざメッセージを送ってみると、何も変わっていないような気がするものだ。友人とは、恋人のようにお互いに何かを求め合うものではない。わたしたちを支え、笑わせ、泣きたいときに肩を貸してくれる存在だ。 Image courtesy of Bitch Media. 『Romy and Michele’s High
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映画とテレビで描かれる8つの風変わりな友情
恋愛をテーマにした映画やテレビ番組はたくさんあるが、友情についてのものはあまりないようだ。最高の冒険はいつも友達とするものだから、語るべき話がたくさんあるはずだ。独立プロダクションのコメディーから傑作アニメまで、お気に入りの映画やテレビ番組で描かれる風変わりな友情を深く調べてみよう。 Image courtesy of ABC News. Napoleon Dynamite Napoleon Dynamite (ナポレオン・ダイナマイト) はいかにも、どこにでもいそうな気分屋で、無気力、そして根暗な高校生だ。友達のPedro Sanchez
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『下妻物語』の文化的意味合い
日本のファッションとポップカルチャーといえば、中島哲也監督作品の『下妻物語』が頭に浮かぶだろう! このヒット映画は、ロリータファッションを愛してやまない桃子と、けばけばしく、人の目を気にすることのないひたむきなヤンキーであるイチゴの物語だ。この映画はロリータファッションを世界中に広めただけでなく、象徴的な友情を描き、今日でも日本のストリートファッションコミュニティーの重要な一部となっている。 2004年公開の『下妻物語』は、元やくざとホステスの娘で、田舎町に住んでいる孤独だが充実した生活を送っている桃子の物語だ。桃子はファッションライフスタイルを送るために販売しているVERSACE (ヴェルサーチェ) のコピー商品に興味を持ったイチゴに程なく出会う。桃子はイチゴのなれなれしい態度、メイク、趣味の悪いバイクの乗り方を軽蔑する。一方イチゴはすぐに桃子の性格を受け入れるようになり、桃子に疎まれても気にすることなく友達になると決める。イチゴはレディース総長の引退暴走用に着る特攻服を仕立て直すことができる伝説の刺しゅう家を探す旅に無理やり桃子を引っ張っていく。 Image courtesy of Cube Cinema. この映画はロリータファッションの人気を高めたという点で、特筆すべきものだ。多くの人にとってこの映画は、ロリータファッションスタイルとの最初の出会いの1つだったのではないだろうか。基本的スタイル、シルエット、そしてもちろんBABY, THE STARS
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ラブホテルまたはホテルラブ: 親密さとファンタジーの空間
ラブホテル! この言葉を聞くと多くの事が思い浮かぶ。普通の欧米人であれば、子どもっぽい忍び笑いを漏らしてしまう時もある。なぜならこの言葉は明らかにセックスと結びつくし、セックスを話題にすることは (少なくとも多くの人にとって) エチケット違反なので、何か悪いことをしているような気分になるからだ。これは、男女関係にお堅いヴィクトリア時代のなごりだろう。世間体という美名のもとに抑圧されたヴィクトリア時代の人たちは、セックスについて語る機会をほとんど失ってしまった。しかし、このような抑圧にははけ口が必要だ。沸騰したやかん内の蒸気のように、セックスは法律、医学、宗教、教育などの「立派な」社会的存在から人々の頭の中に逃げ込んだ。実は、ヴィクトリア時代の人たちはセックスのことばかり考えていたのだ! 日本では、「春画」、戦後の赤線、エロチックな漫画、多種多彩なフェティシズムなどがあったが、同性愛はいまだに良しとされず差別対象である。ラブホテルは、もはや日常光景の一部になっている。当たり前にセックスの目的で利用する人もいれば、夜の女子会で使ったり、またオタクパーティー (アイドルやアニメのDVDを視聴する) やカラオケパーティーに使われる場合もある。そう、ここで最高に楽しんだ日のことをふれ回る人などいない。だがラブホテルは、ヴィクトリア時代のような汚名を着せられることもなく、罪悪感を抱くもの、または恥ずべきものと見なされることもない。 史上初のラブホテルはホテルラブと呼ばれたが、回転看板を逆に読まれてラブホテルとなり、それが定着したという。その登場の理由は非常に実際的だ。つまり、日本の家屋は小さくて薄い壁で仕切られており、通常は複数の世代が同居している。祖母に知られずに恋人とセックスするチャンスなどほとんどない。戦後の好景気で始まった都市化のため、その状況にさらに拍車がかかった。というわけで、ラブホテルは狭苦しい住宅事情から逃げ出し、ささやかなプライバシーを得るのに理想的な場所となった。ラブホテルコンサルタントのビタミン三浦によれば、毎年5億人がラブホテルを利用している。毎日およそ140万組のカップルがラブホテルを利用し、カップル一組当たりの出費は平均して約8,000円だという。 ほとんどのラブホテルは高速道路のインターチェンジ付近か裏通りにあり、地下の駐車場のような目立たない入り口から入る。手頃な小型の端末を使って部屋をオーダーし、時間単位、宿泊のどちらの利用かを選ぶ。部屋へはクレジットカードを使って電子処理で入る。また、これらの全行程を行うにあたりホテルスタッフなどへの挨拶は必要ない。 ホテル内の廊下は迷路のように入り組んでいる。どこも特徴や目立つ特色がないため見分けがつかない。この意図的なデザイン特性のおかげで、ラブホテルに不可欠なプライバシーが守られている。おそらく、東京やロンドンのような産業の中心地における匿名性の反映とみてよいだろう。これらの場所で、通りを歩きながら知らない人に「ハロー」と話しかけようものなら無視されるか不審者扱いされるかのどちらかだ——都会生活は気の弱い人には向かない。苦境から脱するためにオーバーワークする低賃金労働者であふれているからだ。 Image courtesy of Mutual Art. 部屋は日本の基準から見るとかなり広い。カップルの欲しいものはすべて揃っている。コンドーム、大人のおもちゃ、アニメ、カラオケ装置などだ。また飾り付けは豪華で、ぜいたくな内装は目もくらむよう。ほとんどけばけばしいと言ってよい。そう、ラブホテルにはテーマがある。マキシマリズムだ。ぜいたくなベルベットのシェーズロングソファ、鏡でできた天井、ダマスク織の壁紙に囲まれたレトロ調の部屋。スペースカー型のベッドやネオンライトを備えた『宇宙家族ジェットソン』からヒントを得た未来の部屋もある。さらにサーカスをテーマにした部屋まであって、そこには動物ショーを思わせる家具や馬が走るメリーゴーランドも備えてあるという徹底ぶりだ。しかし、注意してよく見てみると、これらすべての部屋には自然光がまったくない、という共通点があることに気付くだろう。部屋はどれも目を見張るものばかり
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ペアルックって、あり?
あなたの好きな有名人カップルであろうと街にいるカップルであろうと、どういうわけか、おそろいの服を着ているカップルの好感度は高い。ただ見ているだけの人たちに言っておくと、彼らが目立っているのは、スタイルが他とは違ったり、コーディネートの調和が取れているからこそだ。ペアルックをする意図がどうあれ、完璧にまとめられたコーディネートには、その見た目以上の確かな何かがあるだろう。 ペアルックカップルの出現以前には、まったく同じ格好をする双子が存在した。『Sister Sister (シスター・シスター)』の Tia (ティア) と Tamera (タメラ)、『The Suite Life
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わたしの恋人になって
2月14日、キューピットはいつも忙しい。なぜって、愛をお祝いするバレンタインデーだから。みんなカードや、バラ、そしてチョコレートを贈り合い、愛の気持ちを表すのだ。カップルは食事とダンスをしているが、恋人のいない人は一人寂しく『Titanic (タイタニック) 』 の映画を見ている。しかしバレンタインデーはそれぞれ違うものだ。ハートマークとバラの裏側には社会的規範と価値の複雑なシステムが存在している。 バレンタインデーの起源は定かではない。3人の男性のうち、だれかが本当の聖バレンタインであったと考えられている。この特別な日は、はるか昔3世紀のイタリアにさかのぼるが、当時ローマから派遣された司祭が兵士の結婚を取り仕切っていた。時のローマ皇帝クラウディウス二世は、独身男性が最高の戦士であると宣言していた。これは多分結婚している兵士は妻と一緒に家にいたがったからだろう。それからの話がはっきりしていない。一説によると処刑される前に「あなたのバレンタインより」という手紙が聖バレンタインから恋人にそっと渡されたとされ、別の説では獄吏の盲目の娘に何かしら関係していたとされる。その起源はともかく、今日バレンタインデーはまったく状況が違っている。 欧米での理想的なバレンタインデーのデートには、愛情の証としてカップルがプレゼントを交換しあうロマンチックなディナーがつきものである。しかしよくあるのは、持ち帰り料理か「愛しているわ」のテキストメッセージだけだ。夜のデートで映画に行く可能性もあるだろうって? だけど多くのカップルがデートし、同じことをしている中で、いったいだれが本当に愛を感じるだろうか。 Image courtesy of GaijinPot. 日本では女性が手作りチョコを男性に贈るが、これは西洋のバレンタインデーの習慣とは男女が逆だ。しかし何もかもが、ロマンチックとは程遠いやり方で行われる。義理チョコは、男性上司と基本的に女性が出会うほとんどの全ての男性に渡される。近年では、ハラスメントと捉えられる可能性があるため、義理チョコを禁止している会社もある。
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桜キッス: 漫画の世界の恋模様
本や映画は日常を忘れさせてくれるが、漫画も例外ではない。現実世界の恋愛はストレスになり得るのに対して、漫画はわたしたちを空想の世界へと連れて行ってくれるし、その可能性は底無しだ! 好きな人とただ相合傘をするようなシンプルな場面も、自分に想いを寄せる15人もの男たちとひとつ屋根の下に暮らすという行き過ぎた設定だってそうだろう。そしてそうしたロマンチックな空想に浸れる描写はたくさん出てくる。どうやら漫画家というのは、胸がときめくような仕草で物語にドキドキ感を生んでいくという芸術を完成させてきたようだ。みんな大好きな壁ドンや、腕をつかんで引き寄せる腕グイを、わたしたちは待ち望んでいる。 漫画界にはユニークなジャンルがたくさんあるから、読みたいものがいつでも見つかるだろう。アクション、日常系、魔法系、そしてもちろん恋愛ものも! 初恋というのはやはり良いものだが、高校漫画がその心の機微を巧みに描き出していると言える。気持ちがたかぶりホルモンが刺激されたところでのキュンとするおどけた仕草は、読んでいて楽しいものだ。『桜蘭高校ホスト部』のような高校漫画では胸キュンをとても重要視している! 『美少女戦士セーラームーン』は、 どんな障害も乗り越えるうさぎとまもるの真実の 愛がなければ完結しない。 日常系漫画は人生の浮き沈みを描いていて、そして人と人との結びつきも取り上げられている。『NANA』のような漫画に、友情、夢を追う苦悩、そして恋愛のストーリーが、バランスよく盛り込まれているように。少女漫画はその物語に恋愛を組み込む。『美少女戦士セーラームーン』で言うと、どんな障害も乗り越えるうさぎとまもるの真実の愛がなければ完結しないのだ。 しかし、どのようにしてわたしたちはそうしたストーリーにハマッていくのか。小説やコミックのように、漫画には読む人を引き付ける独特の描写があって、それがわたしたちを恋愛ものにハマらせていくのだ。恋愛漫画の代名詞とも言える胸キュンな仕草もたくさんあって、幾分やりすぎなものもある。Anime News Network (アニメ・ニュース・ネットワーク) による日本の漫画読者の調査では、頭ポンポンが1番人気だという結果が出た。優しく髪をくしゃっとするだけでも、十分ドキドキするだろう。 他にも、シンプルだけど効果絶大なあすなろ抱き (後ろからのハグ) は、漫画『あすなろ白書』にちなんで名付けられた。そしてその他上位に挙がるものに腕グイもある。腕で人を引き寄せる行為は独占欲や支配欲があるように見えるが、なんともときめいてしまうやり方だ! Image courtesy
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卒業: 成人したらアイドルは無理?
涙、涙のステージ。あどけない目をした童顔の少女たちが、チームメイトや友人、仲間に別れの挨拶をしながらむせび泣く。アイドルの卒業公演では普通に見られる光景だ。しかしその悲しみにくれる顔は決して癒せないものではない。なぜなら5分で笑顔に変わるのだから! 卒業するアイドルはより大きく優れた存在へと成長しつづけるのだ。さあ、高揚感あふれるダイナミックなティーンの曲で盛り上がろう。 J-POPの黄金時代、中森明菜や工藤静香のようなスターは「卒業」する必要はなかった。なぜなら当時は「卒業」という概念がなかったからだ。70、80年代のアイドルはシンプルに引退したが、そこには決定的な「最後」という感覚があった。わたしたちがいま理解する「卒業」という表現が定義され、文脈を持つようになるのは、おニャン子クラブの中島美春さんと河合その子さんがグループから離脱したときだった。折しも、2人の離脱は日本の卒業式シーズンとピッタリ重なり、もともとおニャン子クラブのコンセプトは放課後のクラブ活動だったこともあって、プロデューサーはその表現をビジネスチャンスと見てブランド化をはかった。TVに映し出された卒業セレモニーとそれに続く卒業ツアーは多くの日本人の心に響いた。それは、2人の貢献を認め敬意を表してくれたメンバーたちに対する、盛大な感謝だった。 アイドルを讃えるシンプルな卒業式が、 グループとブランドを存続させるための手段となった。 しかしその後、モーニング娘。の登場で状況は一変した。アイドルを讃えるシンプルな卒業式が、グループとそのブランドを存続させるための手段となったのだ。メンバーは替わってもモーニング娘。は永遠、ということだ。それまでファンは好きなアイドルの言動のひとつひとつに泣き笑いし、誰かがメンバーを離脱すればファンも去った。しかしメンバーがしょっちゅう「卒業」するモーニング娘。では、ファンは新しい「推し」へ簡単にサポートを乗り換えることができた。サポートを乗り換えることができた原因は何だろう? もちろん、インターネットだ! アイドルに関する情報はもはやTVや雑誌に限定されない。ファンは、特定のアイドルの人物像を以前よりずっと詳しく知ることができるし、さらに重要なことは、アイドルの活動期間が短いことによってますます彼女たちの良さがわかるようになったことだ。その後のAKB48や乃木坂46のような女子アイドルグループは、これを少し作り変えて取り入れた。たとえば、さくら学院のメンバーは日本での自分たちの中学卒業に合わせてグループを「卒業」する。 どのアイドルにもティーンの時代に別れを告げ、その先へ進むべき時がやって来る。というわけでキーワードはこれだ: ティーンの時代。「卒業」は大人になる瞬間。一見とても残酷に見える。決められた年齢になるとグループを去らなければならないから。なぜこのままではダメなのか? スキルを磨いてアイドルでいつづけることが許されないのはなぜ? 若さと、ティーンエイジャーの持つ若々しい活力はアイドル特性の中でもとりわけ貴重な美点なので、原動力はフレッシュな年齢だと仮定するのはたやすい。しかし、それではアイドルの意思はどこにもない。アイドルは自分のアイドル生命が短いことを知っており、わき目も振らず頑張らなければならないことも理解している。さくら学院には校則がある。「卒業まで常に完全燃焼すること」。多くのアイドルの卵たちは、卒業までの持ち時間が長くないことを知りつつ、ゴールを目指してがむしゃらに努力する決意を固めて、これらのグループに集まってくるのだ。 Image courtesy of ARAMATHEYDIDNT
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ソーシャルメディアとアイドルについて知ってほしいこと
これまで何度も言われてきたことだが、ソーシャルメディアはわたしたちの生活をがらりと変えた。本号では、アイドルの起源、アイドルによって出現した独特のファン文化、インタビューで見えてきたアイドル伝説を特集した。そして今、マーク・ザッカーバーグのような世界中のソーシャルメディア創業者のおかげで、普通のアイドルの世界がどのように変わったのかについて語るべき時が来た。 アイドルって何? アイドルについて知りたければ、次の3つの記事がおすすめ。 アイドルを求めて: アイドルの起源 上位アイドルへの道 アイドル 夢☆ペディアの一日 それで、ソーシャルメディアとアイドルの関係って? ソーシャルメディアの最大の役割は、アクセスを提供すること。そのアクセスは公開と非公開、どちらの場合もある。そのバランスは再調整されることもあるが、これは誰が門番なのかによって左右される。アイドルになりたければ、Instagramにストーリーを投稿するかTikTokに動画を上げてみて! ファンもできるし、同時にパフォーマンスの練習にもなる。さらに! ソーシャルメディアは検索ならお手のもの。好きなアイドルに関してあらゆる情報をチェックすることほど、ファンとしての「熱心さ」を語るものはない。 Image courtesy of Johnny &
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交流イベント、アイドルファンのカルチャー
秋葉原の劇場は和気あいあいとした雰囲気の人混みで、熱気に包まれている。最前列の観客は今まさに期待で胸をふくらませている。暗闇の中でペンライトがせわしなくきらめく。突然、ステージが明るくなり、ファンはもっとよく見ようと首を伸ばす。劇場内では大歓声が雷鳴のように響く。すべてのアイドルの陰には熱心なファンがおり、コンサートではみんながアイドルもとで1つに結集するのだ。アイドルへの愛のもとに。ミュージシャンは世界中にファンがいるが、アイドルファンの献身はそのだれにも負けない。 ファンが公演を見るため何時間も行列待ちをし、誕生日プレゼントのお金をすべてグッズとコンサートに使いたくなるようなアイドルの魅力とはいったいなんなのか。 なぜ彼女たちはそんなに特別な存在なのだろうか。それは彼女たちに会うことができるからだ。アイドルでない有名人は時々テレビやライブに出演するが、直接会えることはまずない。アイドルライブでは、ファンは好きなメンバーに直接会えるチャンスがあるのだ。 Image courtesy of Fotolia. 「会いに行けるアイドル」は、有名なスーパーグループAKB48のモットーで、日本中のアイドルにとってこれが標準モデルとなった。どのアイドルグループも喜びを広めることを目指している。多くは経験が少なく、調子はずれで歌いコンサート中にすぐに息切れしてしまうかもしれないが、かわいらしい顔立ちと頑張りが彼女たちの成功への鍵だ。国立競技場で行われたコンサートの最後で、百田夏菜子 (ももいろクローバーZのリーダー) が言ったのは、「みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を取りたい。そう思います。これからもずっとずっと、みんなに嫌なことがあっても、私たちを観て、ずっと笑っててほしいです」だった。 Paida (パイダ) さんのようなファンにとって、アイドルは「努力と魅力で人を楽しませ元気にしてくれる存在。その過程を公表し活動に身をささげていることをみなが目のあたりにすることで応援したくなるの」。国籍や性別にかかわらずだれでもアイドルになれるところが、ファンの共感を呼んでいる。事実、Paidaさんはアイドルが大好きすぎて自分もアイドルになると決心したのだった。彼女の推しであるJuice=Juiceの宮本佳林と自分が似ていると考えている。「わたしもとても社交的で少し変わっているの
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制服の国: アイドルと制服
舞台裏。10代の少女たちが衣装を着ようとバタバタしている。一方、町の反対側でも、10代の少女たちが学生服を着ようと渋々とベッドから這い出てきた。彼女たちの共通点は? まあ、彼女たちの衣装と学生服は同じなのだが——そう、制服だ。制服は、高校生活の規則、規制、および退屈な宿題を表すが、日本の学校の95%には制服があり、この国における通過儀礼とファッションステートメントとなっている。 60年代と70年代に、アイドルが制服を着始めた。例えば歌謡界のトリオ、山口百恵、桜田淳子、森昌子。アルバムのジャケットや写真撮影では、流行りのセーラー服に首元のリボンをつけて、ファンに女子高生であることをアピールしていた。高校生の制服ほど青春を感じさせるものはなく、清楚な制服アイドルのイメージが植え付けられていった。彼女たちのすぐ後に登場したキャンディーズなど70年代のグループも制服を衣装にしていたが、アイドルと制服が本格的に融合したのは80年代に入ってからである。 Image courtesy of Middle Edge. 80年代に入り、晴れやかなアイドル黄金時代は女子高生であふれかえった。髪型はボリューミーで、予算も増え、制服も可愛くなった。おニャン子クラブのように、無邪気さと反抗心の境界線を曖昧にするアイドルもいたが、それはセンセーショナルな組み合わせだった。高校生をコンセプトにしたガールズグループであるおニャン子クラブは、セーラー服の代名詞となることでセーラー服を普及させた。彼女たちの曲「セーラー服を脱がさないで」では、アイドルという無邪気なイメージを弄しながらも、若い女性たちの間で話されるセクシュアリティを切り口にしていた。 もう一人の制服を纏ったアイドルといえば、伝説の松田聖子だ。黄金時代のイメージキャラクターとして、10代の少女たちは彼女の髪型、いわゆる「聖子ちゃんカット」やぶりっ子をこぞって真似した。繊細なリボンのモチーフや柔らかそうなカーディガンなど、女性らしい制服を身につけていた。伝統的なセーラー服からシャツやボレロまで様々な制服を着こなし、ティーンの誰もが聖子を同級生のように感じていた。 90年代はアイドルにとっては静かな時代だったが、制服は変わらず流行していた。90年代に入って早々にデビューしたのが制服向上委員会である。制服を着て名門女子校の生徒のように振る舞い、アイドル活動のたびに学園祭の雰囲気を再現していた。桜っ子クラブも制服を着て、デビューシングル「なにがなんでも」にも制服を纏った。メンバーの大山アンザは、ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」でセーラームーン役を演じた際、人びとが最もよく知っている制服を着用した。 安室奈美恵も、コギャルという形で制服の人気に大きな影響を与えた。女子高生たちはネクタイを緩め、スカートの丈を短くし、だぼだぼの白いルーズソックスを履いて渋谷を練り歩いた。安室は改革の女王であり、その大胆なスタイルで他のアイドルと一線を画した。 Image courtesy of Fandom. 1997年のモーニング娘。のおかげで、女子高生ファンは息を吹き返した。ルーズソックスは膝下丈のロゴ入りのソックスに変わり、シャツはボタンで閉じられた——制服に画一性が戻ったのだ。テレビ、ラジオ、音楽はアイドル不足にうんざりしていた。最近はガールズグループがヒットし、制服は演劇的に再構築された。衣装には装飾品や規制されていないアクセサリーが付け加えられる。バブルガムピンクの「カワイイ」コスチュームに身を包み、スカートを短くした℃-uteのようなグループがアイドルのパフォーマンスを支配していた。Buono!のミュージックビデオ「Kiss! Kiss!
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上位アイドルへの道
選挙といっても、アイドル業界で決めるのは次期大統領ではなく人気ランキング上位のアイドル。2013年だけでも、第5回総選挙でのAKB48 (最大のポップグループとしてギネス世界記録を保持) の得票数は265万票。以来、総得票数は年々増加している。業界に多大な影響を与える総選挙はいかにして人々のブレない関心を集めたのだろう? 「選抜総選挙」とも呼ばれる総選挙はファンによる人気投票で、その結果しだいでメンバーのテレビ出演時の注目度、ミュージック・ビデオに映る時間の長さ、歌の割り当てが決まる。AKB48はランキングシステムと総選挙の先駆けだ。ファンは投票券が1枚入ったCDを購入し、好きなメンバーに投票する。選挙当日のうちに最多票を獲得したメンバーが発表され、順位に従ってグループ分けされる。上位16位までが「選抜」グループに入る一方、他はアンダーガールズ、ネクストガールズ、フューチャーガールズ、アップカミングガールズとして分類される。グループ分け終了後、全員の楽曲とミュージックビデオがリリースされる。 Image courtesy of Amara Japan. 驚いたことに、総選挙は草の根レベルで始まった。選挙というアイデアは、運営側の決断でなく、もともとはファン層からの声から生まれた。ステージで特定のメンバーばかり目立つのを一部のファンが不快に感じており、その不満をきっかけにセンターポジションを選挙で決めることになったのだ。ファンにとって、選挙は重大だ。なぜなら投票は、ランキング上位を望む「推し」(「お気に入りメンバー」をさすファン用語) への愛とサポートのあらわれだから。昔はメンバー内の人気を可視化することはタブーだったが、総選挙になるとその率直さが絶賛され世界中のJ-Popファンを魅了した。 AKB48のランキングシステムと総選挙が意味するものは人によってさまざまだ。「金しだいの選挙」と考える人もいる。このランキングは、ファンがこぞってCDを爆買いして推しメンバーに大量投票した結果だ。必然的に、裕福でまめなファンをもつメンバーが最大の恩恵を受ける。 一方、このシステムのおかげでメンバーには自己開発のチャンスがあるという人もいる。シャニ・ナティオは、JKT48 (インドネシアのAKB48の姉妹グループ) で32位になったときにグループ内の自分の役割を徹底的に見直した。そして、26位になったことがさらなるパフォーマンスの改善につながった。最終的には2019年に1位の栄冠を勝ち取った。各ランクの背後には常に歩みと成長の物語があるのだ。 これほど大きなグループにおいて、誰もが等しく注目されるのはほぼ不可能だ。ナンバー1になることは、チャンスが保証されることを意味する
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未来はアジアにある
永遠の影に包まれた街。2019年のロサンゼルスが舞台で、カメラは果てしなく広がる超高層ビル群を上からパンする。未来の乗り物は空を飛ぶので、高層ビルは主要な競争率が高い広告スペースにもなっている。高層ビルを覆うプラズマスクリーンには、赤い唇、白い顔の優雅な芸者が映し出されている。でも、待って! 芸者はSF映画にも出てくる。この世界では、昔の日本の職人たちが生き残り、その威信を保っている。 映像は老朽化した水浸しの路地裏のストリートビューに切り替わる。屋台で食事をしている人々、傘や笠 (これも日本っぽい) を持った通行人。エアダクトの上に座っているのはHarrison Ford (ハリソン・フォード) が演じるデッカードだ。漢字のネオンと点滅するテレビに照らされ、新聞を読んでいる。彼の番が来ると、屋台の店主が日本語で「いらっしゃい! 」と迎えてくれる。この屋台は、どう見ても1982年頃の東京から飛び出してきたように見える。店主は伝統的な衣装を身にまとい、日本語を話し、様々な麺料理にトッピングをして提供している。 テクノ・オリエンタリズムとはその名の通りだ。 『Blade Runner (ブレードランナー)
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良いも悪いも奇妙なものも: 映画ファッションにおけるユートピアとディストピア
SF映画のファッションは2つのカテゴリーに分けられるだろう。完璧な世界 (ユートピア) もしくは苦悩と不正の世界 (ディストピア) に。テクノロジー、政治そしてファッションはこれらの物語へのインスピレーションとなるだろう。SF映画におけるコスチュームデザインはその時代の考え方に関して多くを語る。だからポップカルチャーはこのジャンルに夢中なのだ。作家Hal Niedzviecki (ハル・ニジヴィエッキ) は未来をわたしたちの最も大きな魅力の1つだと述べている。なぜなら、それは可能性に満ちているからだ。良いもののように見えるものは実際悪いもので、悪いものに見えるものは実際良いものである。 Image courtesy of
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なぜ、Instagramは『フィフス・エレメント』に夢中なの?
土、風、火、水——そしてファッション。えっ、ちょっと待って! それは5番目の要素じゃない! Instagramのディスカバーフィードで、オレンジ色の髪の現実離れした、ミイラのように包帯で身を包んだ美しい姿が絶え間なく表示されていることに気づいたかもしれない。それらの投稿は、Leeloo (リールー) という名の少女に敬意を表している。そう、彼女こそ5番目の要素「フィフス・エレメント」だったのだ。1997年にLuc Besson (リュック・ベッソン) 監督が製作したこの映画は、ここ数年、ソーシャルメディアで再び取り上げられるようになった。90年代の典型的なレトロフューチャーの一片を提供する『The Fifth Element
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オーマイゴッド! あなたはふたご座っぽいわ!
ブー! ブー! 毎日の星占いが携帯に届く。今日のアドバイスは、「心の健康と清らかさのために、『The COMM』をもっと頻繁に読むべきだ。」そうね、星占いがそう言うなら…。 なぜわたしたちは星座のミーム (※) を作るのだろう? 遠回しに友達をからかう方法なのだろうか? もしくは、月星座のせいにしてお互いを批判する方法? 誕生日に基づいて人の性格を定義するこのスピリチュアルな体系は、タブロイド誌の領域を超えて、オンラインセミナーやアプリといったネットの領域に浸透した。 ※元々ある画像に文字を付け加えてジョークにしたもの わたしたちが星座に感じている魅力は目新しいものではない。古代メソポタミアでは、星座の向きを利用して作物の種まきと収穫に最適な季節、またはいつ戦争に行くかを決めていた。電気などの現代の発明以前、星は空を明るくする知られざる灯台だったので、人々は自然と畏敬の念を抱いた。人間にとって星は宿命、運命、宇宙の定めを表していた。そして占星術は生または死という重要な決定を予測するために使われていた。 「占星術は世界の出来事や日々の問題の背景を伝える」 1929年、ウォール街大暴落は大恐慌の始まりとなった。企業は倒産し、仕事を失い、食料は不足し、絶望が広まった。最初の占星術のコラムは、翌年の『Sunday Express
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2020年はいつか終わる?
2019年の大晦日、世界はひとつになって新年を祝った。そして2020年現在、多くの人々は考えている。わたしたちはまさかこんな年のために、夜中まで起きて「明けましておめでとう」と叫んだのか? ダンジョンズ&ドラゴンズ (※) の属性で言うと、2020年は今のところ「混沌にして悪」だ。ほんの数か月で、Kobe BryantとGigi (コービー・ブライアントと娘のジアナ) の悲劇的な死、北極圏での油流出事故や世界的パンデミックが起こり、メディア王のJimmy Lai (ジミー・ライ) は香港の国家安全保障法の下で最も注目を集めた逮捕者となった。マーベル映画のスーパーヒーロー、Chadwick
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ぼやけた境界: 変わりゆく美しいフェイス
Elaine Scarry (エレイン・スカリー) さんは『On Beauty and Being Just (美と正義について) 』で美は人々を喜ばせると述べている。美しい顔を見て感動することで、人々はその顔を再現、所有、保護することを強制される。アート
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カラス族: 「カワイイ」の正反対
「カワイイ」という美学の真の起源に関して長い間激しい議論がなされているが、60年代と70年代がこのスタイルにとって重要な時代であったことは誰もが同意している。しかし1980年代には、この女性らしく可愛い、洗練されたスタイルを受けて新しいサブカルチャーが現れた。カラス族はとにかく真っ黒で、そしてその最前線にいたのは山本耀司と川久保玲のようなデザイナーだった。ストリートファッションの世界は、あるサブカルチャーから次のサブカルチャーへと、振り子のように常に動いている。暗い配色のスタイルVS明るい配色のスタイル、サブカルチャーVSメインカルチャー、ミニマリズムVS贅沢——この一往一来は、カラス族のアンチファッション運動に比べるとわかりやすい。 他の全東京都民がプレッピーでタイトなシルエット、そして控えめなパステルカラーの「カワイイ」コーディネートに憧れていた一方、「カラス」は全身黒で対抗した。オーバーサイズで穴の空いた、非対称の衣服は着る人を包み込んで隠す。女性は男性の服を着て、男性は女性の服を着た。中性的なタートルネックと首をすっぽり隠す大きいスカーフは、必須アイテムとなった。流れるような、一見切りっぱなしのマキシスカート。高価な粗い織りの生地とストレートヘアの組み合わせ。色調を抑えたスモーキーアイを隠す眉上バング。DCブランド (デザイナーズ&キャラクターズブランド) という用語は、カラス族の特徴と言える、前衛的なスタイルへのこだわりを表現するために作られた。 Image courtesy of AP/Tsugufumi Matsumoto. しかし運動が始まることは、山本氏と川久保氏が意図していたものではなかった。山本耀司はかつて、黒を「謙虚であると同時に傲慢」と表した。色彩に対するこの態度はカラス族の土台となった。仕立屋だった母親に育てられたので、何がきっかけで山本氏が服を作り始めたのかは明白だ。イギリスのパンクシーンに触発されたものの、日本のファッションの西洋化に山本氏は腹を立てた。そこで母親のお店で人形のような服を顧客にデザインするのではなく、独立した女性のために日本の伝統的なメンズファッションのシルエットを再現しようとした。若い頃の山本氏いわく、女性は男性の服を着ることで「寒さや男性のじろじろ見る目から」守られたという。彼のコレクション「Impact from the East
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魔女団と大釜: ポップカルチャーにおける魔女の進化
ルビー色の靴のかかとを3回打ち付けて、ドロシーは「お家がいちばん」と心に残るセリフを言う。L. Frank Baum (ライマン・フランク・ボーム) 著の『オズの魔法使い』を実写化したこの映画は、家族の重要性を再認識させただけではなく、魔女のイメージを固めた。邪悪な魔女という概念は15世紀の論文『魔女に与える鉄槌』のせいで長い間存在していたが、わたしたちが邪悪を醜さと同一視するようになったのは、緑色の肌にわし鼻、そしてイボだらけの西の悪い魔女からだ。同じ映画で、良い魔女グリンダの優しさはたくさんの星やキラキラがついた、ペールピンクのふわっとした舞踊会用のドレスで表現されている! その後の数十年で、これらの魔女の描写は女性らしさに関する社会のたくさんのアイデアを取り入れながら、ポップカルチャーの主力となった。魔女は主婦だったり、ティーンエイジャーだったり、そして姉妹だったりした。しかし、これらのキャラクターの特徴が本当に表していたことは何だったのだろう? 「サマンサは鼻をピクピク動かしたり指を鳴らすだけで