デコラの歴史
原宿を特徴づけるストリートファッションを思い浮かべるとしたら、それはデコラと言ってよいだろう。誰でも、はるか遠くからでもこのファッションを見つけることができる! デコラファッションは色彩とアクセサリーの爆発だ。これは原宿の活気に満ちたスピリットを見事に具現化している。このファッションが生まれた経緯は少し複雑で、そこには矛盾に満ちたストーリーがある。記事を最後まで読んで、どのようにデコラファッションが現在のようになったかを学んでいこう。
「デコレーション」という言葉から生まれたデコラは、1990年の終盤に、原宿の街角に現れたカラフルで陽気なファッションだ。どのデコラファッションでも特に目立つのは、100円ショップのヘアクリップや腕いっぱいのリストバンドなどのアクセサリーだ。普通の化粧ではデコラには地味すぎるので、代わりにシールやストーンがファッションの盛り上げ役となっている。通常、身につける服はハンドメイドだが、ファッションをブランドで統一するならそれは間違いなくSUPER LOVERS (スーパーラヴァーズ) 、そしてもちろん6%DOKIDOKI (ロクパーセントドキドキ) だ。
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1995年、増田セバスチャンにより創立された6%DOKIDOKIは、原宿のファッションと文化において定番となっている。きゃりーぱみゅぱみゅに詳しい人なら、ヒットシングルの「PONPONPON」のミュージックビデオの裏側にいるクリエーティブディレクター兼スタイリストの増田セバスチャンを知っているだろう。6%DOKIDOKIは常に最高でとても素敵な洋服を供給してきているように聞こえるが、ショップ開店当時の状況はまったく違っていた。増田は自分と友人のアート作品を販売する目的で店を開いた。しかし、このベンチャービジネスが失敗に終わったとき、方向性を完全に変えた。古着と東京人が後に洋服に取り入れた雑貨類の販売を始めたのだ。おもちゃからリボン、そしてカーテンなど、あらゆるものがアクセサリーになり、ファッションとして生まれ変わったのだ。増田によると、これがデコラの始まりだった。このファッション人気の高まりを見て、増田は若者ファッションのニーズを満たすアクセサリーを創り出し始めた。
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6%DOKIDOKIの開店と同時期に、テレビパーソナリティで歌手の篠原ともえがファッションシンボルとして新風を巻き起こしていた。そのファッションはデコラファッションに大きな影響を与えたとされ、セバスチャン自身も彼女がデコラブームに影響を与えたと言っている。篠原のファンはそのファッションをまねることで「シノラー」として知られるようになった。シノラーは篠原のように中学生や小学生が着るような洋服を身につけ、彼女のトレードマークのバーニーハットをかぶり、ツインテールにした。しかしまねたのは、ファッションだけではなかった。彼女の子どものような性格と声も広まった。シノラーとデコラファッションは同じようなものだと言われることが多くあるが、違うものだと創始者たちは力説している。篠原によれば、シノラーファッションは色彩豊かな原色を使う。一方、デコラはむしろサイバー系の蛍光色を使う。その後、デコラはカラーバリエーションを使うスタイルとして進化してきているが、常に力強いスタイリッシュな原点に忠実だ。
1997年に青木正一が創刊した雑誌『FRUiTS (フルーツ) 』は、デコラファッションを世に知らしめた。変わった服装のスタイリッシュな若者を写真に撮るため原宿で待ち受けていたときに、青木はこの創刊号の表紙を飾った小林あきに出会った。彼女はアクセサリーを手作りする方法について話をしたが、それが雑誌の読者にヒントを与えた。その後1年余りを経た1988年末に、デコラムーブメントが街で爆発的に広がった。特に2000年代初頭にPHAIDON PRESS (ファイドンプレス) が出版した英語版『FRUiTS』により、デコラムーブメントが世界的に知られるようになった。創刊時の『FRUiTS』では、ベストをTシャツにどのように重ね着するのかから、どこでアクセサリーを買えばいいのかまで、デコラウェアの各部を詳細に写真で説明した。同誌によると「デコラは2年前に世界に嵐を巻き起こした。『デコラを着たい』という女の子たちが生み出した新しいデコラの型が増えてきている」。この写真はその頃のデコラファッションがどのようなものだったのかを捉えている。デコラは1998年から急速に進化し、独立した魅力的なファッションとなった! デコラとシノラーファッションは重なる部分があるという増田と篠原の主張と異なり、青木正一はシノラーとデコラは異なるものだと言い切っている。
90年代の最盛期を過ぎると、原宿でのデコラ人気は目に見えて低くなっていった。だが、オンラインと世界的なコミュニティーにおいて、このファッションはたしかに存続している。ごく最近では、NEOデコラ会主催のファッションウォークが原宿で行われた。これがどのように始まったかについてすべてが明らかなわけではないが、このファッションはどこからともなく突然現れたものではない。多くのファッションと同様に、複数の影響が作用し合った結果としてデコラは生まれたのだ。
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Written by Ash, translated by Toshi.
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