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原宿関連の出版物: 知っておくべき日本のファッション雑誌8誌!

日本のストリートファッションカルチャーにとって、雑誌は長期にわたり不可欠なものだった。過去においては雑誌がファッショントレンドを決め、ギャルとロリータのようなファッショングループを作り上げるきっかけとなった。ときには、だれかの目新しい洋服のスタイリングを見ただけで、雑誌がこれを新しいファッションサブカルチャーだと名付けあおったものだった。読者は雑誌が「旬」と認めたものを確認し、その雑誌を中心としたコミュニティーを作った。今日、私たちはデジタル時代にいるが、原宿はそういった出版物のおかげで現在の形になったのだ。日本発祥の最も伝説的なストリートファッション雑誌の概要を見てみよう!

 

CUTiE

雑誌『CUTiE (キューティ) 』は1989年に発行された。これは「平成ブランドブーム」が出現した平成元年にあたる。プロのモデルと高級ブランドが廃れ、代わりに読者は自分たちのような女の子を中心とした写真を期待するようになった。『CUTiE』は『宝島』からスピンオフした、1980年代におけるパンクとニューウエーブの若者文化の雑誌で、The Clash (ザ・クラッシュ) やSex Pistols (セックス・ピストルズ) などのバンドの記事やVIVIENNE WESTWOOD (ヴィヴィアン・ウエストウッド) の特集記事を読むことができた。『i-D MAGAZINE (iDマガジン) 』にインスパイアされた『CUTiE』は読者の目新しいファッションのスナップ写真を誌上で紹介した。『CUTiE』の読者の少女たちは、「したいと思うことをする」ことをモットーにして、主流でないスタイルを試したのだった。そのキャッチコピーは「For Independent Girls」で、若者ファッションの限界を広げる活動に焦点を当てていた。『CUTiE』は、新しいタイプの原宿の女の子たちのための雑誌だった。

Image courtesy of magnifonline.net


anan

『anan (アンアン) 』は、時代の先端を行く雑誌だった。『anan』には今や誰もが知る原宿の若いデザイナーの紹介記事が載っていた。COMME DES GARÇON (コムデギャルソン) の川久保玲、金子功、そしてMILKの大川ひとみは、ブレークのかなり前にそのページを飾っていたのだ。『anan』はハイ・カルチャーを正しく評価し、毎号アバンギャルドなイラスト、芸術的なヌード、そして映画と演劇の批評を特集した。雑誌売り場ではなく、むしろ美術館のアートコレクションの中にあったほうがふさわしかったように見える。アートディレクターの堀内誠一と先見の明があるカメラマンの立木三朗が『anan』を引っ張っていた。その論調も進歩的だった。この雑誌が「ちょっと変わっているが、キュート」なのは、モデルに自由な表現活動をするように指示しているからだ。多くのモデルたちは、『anan』専属モデルになった。この小さいが意味のある慣行はその後、全面的に後続のファッション雑誌に影響を及ぼした。当時、初めてだったハーフモデルの特集もあった。創刊当初でさえ『anan』の先進的な考えは女性たちの注目を受けたのだ!

Image courtesy of @info_doria via Twitter


non-no

1971年に創刊した雑誌『non-no (ノンノ) 』の目的は、読者が自己の独自性を確立するための一助となることであった。ファッションとカルチャーの情報に敏感な大学生と20代の女性がターゲットだった。『non-no』は若い女性たちに、実用的な化粧品、ヘアスタイル、美しさのヒントとコツを伝えた。新しい靴のブランド、自分の肌の色合いに合うリップカラーをもっと知りたかった人にとって、『non-no』は頼りになる情報源だった。同誌はファッショントレンドをとても上手に見抜き、予想した。どうやっていたのかは分からないが、それで読者を引きつけていたのだ! 雑誌を片手に旅行する『non-no』と『anan』の読者が「アンノン族」と呼ばれる社会現象さえあったのだ。

Image courtesy of culturestation.co.jp


Zipper

『Zipper (ジッパー) 』 が特別だったのは、見た目だけでないファッションを創り出したいと考えているファッショナブルな読者との接点があったことだ。他の多くのストリートファッション雑誌と同じく、ストリートファッションのスナップ写真が『Zipper』の人気の鍵だった。女の子たちは古着と手作りのアイテムを創造的に組み合わせて、雑誌にふさわしく仕上げてくれた! 街角で写真を撮られた多くの女の子たちは、そのまま専属モデルや「読者モデル」、つまり「パチパチズ」になった。すぐに彼女たちは、雑誌の表紙を飾りそのファッションのための見開き記事が掲載された。『Zipper』のモデルたちは、ユニークなファッションをあえて身につけながらもトレンドであり続けた。彼女たちは自分たちのファッションの感性を、すでに確立していたデコラ、ヴィヴィ子そしてロリータに持ち込むことができていた。『Zipper』は2017年に廃刊になったが、2022年3月より季刊誌として発刊されると発表された。24年の歴史あるZipperガールスピリットは、今でも健在だ。

Image courtesy of fashion.aucfan.com


Olive

かわいいレボリューション真っ最中の1982年に創刊した『Olive (オリーブ) 』はフランスの女の子のようになりたかった女子高生に「パリジャン」のイメージを売り込んだ。それにぴったりのキャッチフレーズが「Magazine for Romantic Girls」で、教室に『Olive』を持ち込むような知的な女の子を紹介していた。表紙の写真のほとんどはガーリッシュで洗練されたファッションの若い外国人モデルだった。おもしろいことに、『Olive』と言えば連想されるブランド「PINK HOUSE (ピンクハウス) 」は、ロリータファッションの精神の先駆者と考えられている。『Olive』の読者は、アート、手作りアイテム、インテリアデザイン、文学、そしてフランス映画にも興味を持っていた。オリーブガールは、もちろん『Olive』のエプロンを着けてクッキーを焼いていたことだろう。『Olive』は、お金も情報もあまりない女子高生たちに早く「大人になる」ことを望む社会の中で、ファッションと都市生活へ導く役目をしたのだ。しかし、女子高生たちはそれに反発した。C’est la vie (人生とはそんなものだ) !

Image courtesy of pulplibrarian via Twitter


FRUiTS

原宿通りの写真雑誌で最も影響力があり、評価されている『FRUiTS (フルーツ) 』は、日本のストリートファッションの世界的な認知の基礎となった雑誌の1つだ。1997年に写真家の青木正一が、原宿のクリエーティブなファッションスピリットを写真に収めるために発刊した。2017年に休刊したが、ネット上で継続しているこの雑誌は、すべての日本のストリートファッションを世界に紹介するガイドの役目をしている。PHAIDON PRESS (ファイドンプレス) は、厳選した『FRUiTS』のコーディネートの写真集を発行し、その英語版のおかげでこの写真集は世界中の読者に届いた。こうして多くの日本人以外の人が『FRUiTS』を知ったのだ。原宿ファッションを考えるとき、『FRUiTS』が常に最初に思い浮かぶはずだ!

Image courtesy of alldaygarb.co.uk


KERA

パンク、ゴシック、そしてロリータなどのストリートファッションと密接に結びついている『KERA (ケラ!) 』は1998年に発刊された。これはストリートファッションのスナップ写真にスポットをあてた最初の数少ない雑誌の1つであり、AKIRA、青木美沙子そして紅林大空の3人を街角で見いだし、そのキャリアに送り出したのだ。それぞれのスナップ写真には、彼らの名前、年齢、身につけている物のブランド名、購入した店などの短い説明文が添えられていた。他の重要なこととしては、笑顔と封筒のアイコンがあったことだ。これらは、彼らに手紙を出したり、いつか街角で見かけた時に声を掛けることができることを意味していた。これはコミュニティーの意識を築き、育む方法だった。現在、『KERA』はネット上で見ることができる。国際的にも良く知られており、しばしば世界的なコミュニティーを特集している。『KERA』からスピンオフした雑誌も数誌あった。最もよく知られているのは、『Gothic and Lolita Bible (ゴシック&ロリータバイブル) 』だ。外国語訳と再発行により、ロリータファッションが世界的に広まった。

Image courtesy of nana-nana.net


Egg

ほとんどのサブスタイルには、そのファッションに関連した雑誌がある。そしてギャルには『egg (エッグ) 』があった! 雑誌『egg』は、反抗を象徴し、ギャルによるギャルのためのものだった。ギャルが見たいものと聞きたいものを特集することに重点を置き、型にはまった悪女を忌避しなかった。この雑誌にはタブーのトピックはまったく無く、セクシーな服装とそれがどこで買えるか、メークのアドバイス、ヘアスタイルのハウツー、スマホのDIY、そしてセックスのアドバイスまで、毎号見開きページで特集されていた。Shibuya109の外で『egg』に載せるスナップ写真を撮ってもらうことは、『egg』ガールのスターダムを駆け上るようなものだった。ギャルたちは、Shibuya109、日焼けサロン、パラパラと同じく、雑誌『egg』をナンバー1だと思っていた!

Image courtesy of tokyonadeshiko via Ameblo

さあ、これで伝説となったほとんどの日本のストリートファッション雑誌を紹介した。長く人気を保った雑誌もデジタル化した雑誌もあるが、伝説的な雑誌たちは原宿が世界から不動の市民権を得るのに役立ったのだ。

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Written by Ash, translated by Toshi.
Featured image courtesy of shihomame via Note.

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