Aliferous Angel
ヴィンテージファッションを思い浮かべるとき、わたしたちは恐らく60年代、あるいは50年代、もしかしたら30年代にまで時を遡るかもしれない。しかし、Aliferous Angel (アリフェラス・エンジェル) として知られるHolly (ホリー) さんのヴィンテージスタイルは、それよりもずっと昔の時代にまで及んでいる。Hollyさんはビクトリア時代にインスピレーションを得て、そこに日本のストリートファッションの要素を足し、特徴的な慎み深いアンティークスタイルを創り出した。Hollyさんと同じようにヴィンテージ風のカルトパーティー系のファッションを愛するコミュニティーを見つけたことが、Hollyさんのファッションへの愛を確固たるものにした。今では、Hollyさんはアンティークなライフスタイルを深めてくれるヴィンテージのおもちゃや不気味な物を集めることで、ヴィンテージなものすべてを、さらに愛するようになった。『The COMM』はHollyさんのファッションスタイルと、彼女が影響を受けた過ぎ去りし時代についてインタビューした。 COMMunityに自己紹介をお願いします。 こんにちは、Hollyです! アンティーク、ヴィンテージや不気味な物が大好きです! 地球の下の方にある小さな島、タスマニア (オーストラリア) 出身です。今は東京に住んでいて、英語教師として働いています! この号では、『The
コーデのヒケツ: フェアリー系
フェアリー系はパステルカラーパレット、着心地の良いシルエット、そしてノスタルジックな80年代モチーフで知られている日本のストリートファッションスタイル。このスタイルはLISTEN FLAVOUR (リッスンフレーバー)、 W❤C (ダブルシー)、そしてSPANK! (スパンク!) のようなアイコニックブランドに代表されるけれど、簡単に真似をすることができるから、国際的な熱狂的なファンも獲得した。あなたの地元のリサイクルショップに立ち寄ってみて。そうしたらもう半分できたも同然! もしあなたがフェアリー系を試してみたいなら、これから紹介するアクセサリーを使って始めてみよう! Image courtesy of
アフタヌーン・ティー
自宅で自分だけのティーパーティーを開くことができれば、出かけなくてもいいでしょ! ロリータたちは、壮大な城や贅を尽くしたホテルで贅沢なティーパーティーをよく開くが、時間——または予算——がないこともある。でも、大丈夫だ。このロリータはどのようにすればうまくいくのか知っているから。Sarah (サラ) さんとお客さんのぬいぐるみ達と一緒に、ボードゲームをしよう。それから、どうぶつの森シリーズをしたり、塗り絵をしたり、『ゴシック&ロリータバイブル』を読んだりして、ごろごろして過ごすのはどう? デカダンスの王妃、マリー・アントワネットの言葉によれば、「ケーキを食べればいいじゃない! 」 Model: @pearliecute Photographer: @pearliecute Photo editing: @choom.online Written
Pony
1990年代。若者のファッション。キッチュなチェックスーツとグランジチョーカーの時代。でも、東京の路上じゃない! 「多いことは豊かだ」という美学が何より大切だった。——鮮やかなカラーブロッキング、頭からつま先まで覆ったアクセサリー。撮影現場を支配したのは、デコラのようなファッションだった。大好きなテレビ番組のアニメキャラクター、分厚いプラスチックのヘアークリップ、ハート型の宝石が何層にも重なっている。このスタイルでは、子供の頃のノスタルジアが大きな役割を果たす。今回の撮影では、パリを拠点とするデコラキッズ、Pony (ポニー) さんが、ガラクタをおしゃれアイテムに変えた、さまざまなコレクションを披露している。そして、彼のデコラに対する愛は、わたし達が愛してやまない大胆な色使いと飾りが決して色褪せないことを証明している。 Instagram Model: @ponykoniko Photographer: @choom.online Written by Kay, translated by
ショッピングスポット: 年代別ストリートファッション
日本のファッションには豊かな歴史がある。50年代から00年代にかけて、日本のストリートファッションを定義してきたのは、それぞれの時代のサブカルチャーだった。 ファッションは往々にしてノスタルジアであり、古いものをリミックスして新しいスタイルが誕生する。ゆえに、『The COMM』は、コミュニティーメンバーが年代別に日本のストリートファッションを楽しめるとびきりのお店を見つけ出す必要性を強く感じているはず、という結論に至った。 Image courtesy of Psycho Apparel. 1950年代: PSYCHO APPAREL 日本では第二次世界大戦後、洋服、西洋のトレンドや文化が人気となった。当時、最もアイコニックだったスタイルの1つ——50年代のピンナップでロカビリーなファッション——が、現在再び復活している! もしあなたが、フィット&フレアのデザイン、ペンシルスカート、丸襟、ネックスカーフ、またはその他の50年代の定番ファッションのファンなら、PSYCHO
Black Diamond
Black Diamond (ブラックダイヤモンド) は、東京を拠点とするギャルサーで、ギャルファッションを存続させるために精力的に活動している。2000年代初頭にピークを迎えたギャルカルチャーは近年衰退しており、MA*RS (マーズ) などの定番のギャルブランドは稀有な存在に成りつつある。しかし、Black Diamondは、雑誌『egg (エッグ) 』にインスパイアされたストリートスナップを通じて、逆境の中でもギャルカルチャーが存在していくことを証明するために最善を尽くしている! 真っ黒に日焼けした肌、茶髪、パステルカラーのアイシャドウ、派手なコーディネートのようなギャルカルチャーの価値観は健在なのだ! Location:
くれちゃん
平成のファッションへ進出するなら、デコラ抜きでは充分とはいえない。2000年代初頭に全盛期を迎えたデコラは、今も「原宿の本質」を忠実に表現するアイコニックなジャンルであり続けている。たくさんのヘアアクセサリーや重ね着、手作りの小さいアクセサリーが特徴。そして、近年は、本来の手作り精神から離れることや、もっとたくさんのアクセサリーを重視し、デコラは生まれ変わってきた。また、新しいアイコン——くれちゃん——も発見! この独占撮影はデコラが生まれた場所、竹下通りで行った。 今号では、日本のファッションの様々な時代を詳しく調べています。くれちゃんはどのファッション時代から最もインスピレーションを得ますか? そして、その理由は何ですか? 私が最もインスピレーションを受けた時代は2000年前後10年間くらいです。 私が物心ついた頃にはシノラー、ミニモニ、コギャル、デコ電などが流行っていて、TVにも雑誌にも奇抜なデザインが溢れていました。 これまでのキャリアにおいて最も重要なエピソードは何ですか? 2010年にKERAのモデルとしてキャリアをスタートさせた事だと思います。18歳だった当時、原宿で声を掛けられなければ現在この仕事をしていないと思うからです。誰も知り得なかった私自身のキャラクターを雑誌の記事を通して世間に広め、その後の活動に大きな影響を与えてくれました。 モデルのキャリア以外のクリエティブなプロジェクトや情熱について教えてください。 私は原宿系モデルとしてデビューしましたが、雑誌ではデザインやプロデュース企画等 私の中身をフィーチャーした仕事を沢山させて頂きました。モデルとして可愛い子は沢山いるけれど、紅林にやらせたら企画が面白くなる!とプッシュしてくれていた編集さんの先見の明です。 10年経った現在は原宿のシンボルである竹下通りのアーチのデザイン、竹下通りのイベントプロデュース等を手掛けています。アーティストとのコラボレーションは原宿の歴史の中でも初めての事で、とても光栄です。 これからもカラフルに着こなしていきますか? そうですね。色合いに関するこだわりは物心ついてからずっと変わりないので今後もカラフルが好きだと思います。ただ、何を着るかは毎日その日の気分次第です。 ずっと貫いてやる!と思ってスタイルに縛られるのは私のポリシーに反するので、これを伝えるのはいつも難しいです。これからもファッションを楽しむつもりです。 デコラファッションを始めたばかりの人へのアドバイスはありますか? まずは好きなように着てみてください。デコラファッションは人によって着こなしが全く違うアート作品のようなジャンルです。正解も不正解もありません。いまの装飾に物足りないと感じるようになったら少しづつ増やしてみたらいいと思います。 時間が空いているとき、何をしますか? オススメの場所はどこですか? ほとんどの時間を寝たりお絵描きをしたりして過ごしています。私にとって1人の自由な時間がすごく大事で、何かにコントロールされていると心に余裕がなくなっていい仕事が出来なくなると思うからです。たまに出かける時は横浜のカップヌードルミュージアムに行きます。オリジナルのカップヌードルが作れて最高に楽しいです。 将来の目標と夢は何ですか? 何にも縛られず自由に暮らすこと。 楽しく生活すること。 最近一番気に入ったカルチャー的なものは何ですか? それはどうしてですか? マクドナルドのハッピーセット。ついてくるおもちゃが絵本で、金魚の絵本とワニの絵本をもらいました。(ワニはダブったので2冊) 小さい頃から絵本が好きだったので大人になってもまた手にすることができて嬉しかったです。 今月はエミリー・ザ・ストレンジの展示も見に行きました。 マストハブ・アイテムを5つ教えてください。 ブランケット、クッション、iPad、Wi-Fi、牛乳 最後にひとことお願いします。 あの頃は良かった、だからこれからも楽しくなると良いね。 Instagram Location: Purikura
原宿サブカルチャーの誕生
日本のファッションのサブカルチャーは、東京の多種多様なファッションシーンをストリートスナップが知らしめているおかげで、世界中で有名だ。これらのスナップは、とても愛されていた『FRUiTS (フルーツ) 』という雑誌によって広まった。まだ東京のサブカルチャーのファッションスタイルが世界にほとんど知られていなかった1997年、『FRUiTS』の創業者で写真家の青木正一はそのスタイルを雑誌として創刊することを決めた。撮影された有名なスタイルの中にはロリータやギャルも含まれていた。以下は、ファッションのムーブメントの極めて初期から始まり、現在のサブカルチャーファッションの調査で終わる簡単な概要だ。ただし、日本のサブカルチャーファッションは1970年代まで遡り、以下に紹介する以外にもたくさんのスタイルを含む、創成期からずっと進化し続けているジャンルであることを心に留めておいてほしい。 Image courtesy of SukebanDeka. スケバン スケバンは東京で最初に登場したサブカルチャーファッションの1つだ。1950年代から、暴走族はアメリカのバイカーカルチャーを日本風にアレンジしながら実験的に取り入れていた。しかし、残念ながら暴走族は女人禁制だった。呼応するように、1960年代後半に女性だけで構成される暴走族によるムーブメントが始まった。スケバンはセーラー服を、アメリカのスケータースタイルとイギリスのパンクカルチャーから着想を得てカスタマイズした。しかし、日本社会のほとんどから不良と見なされていたスケバンたちは、真剣に社会に反抗していた。武器を携帯し、他のスケバンと喧嘩し、ちょっとした盗難行為をすることもしばしばあった。このようなスケバングループが世界を席巻していた解放運動——1960年代や70年代の性の革命も含む——の一部として反乱を起こしていたことに気づくことも重要だ。現在、スケバンカルチャーはフェティシズムやステレオタイプに歪められてしまったが、このようなサブカルチャーから日本のストリートファッションの世界で最もカッコいい女子を生みだしたという真実は残っている。 Image courtesy of Egg. ギャル スケバンと同様に、ギャルは1970年代前半に伝統的な美の標準への反抗として登場した。このスタイルは英語の「gals」を日本語に翻訳したものから名付けられ、1968年にLEVIS (リーバイス)