考察: ファストファッションと自分らしさ
日本のストリートファッションのメッカである原宿は今、難しい時代に直面している。竹下通り周辺の人気ブランド店やショップは閉店を告げ、雑誌 『FRUiTS』 を創刊した青木正一は原宿の死を宣言した。この大混乱を最後まで生き延びたのはファストファッション大手のWEGOとUNIQLOだ。ノームコアファッションが盛況だが、大好きなストリートファッションブランドが今年も続いて欲しいというのがわたしたちの願いだ。こうした厄介な事態の中、オルタナティブファッションシーンでは、クリエイティブな人々がネットで自分たちのストリートファッションを盛んに発信し続けている。愛するストリートファッションシーンはファストファッションによって駆逐されてしまったのか、それともこれは単に新時代の到来の予兆なのだろうか? サブカルチャーの本質は、ロリータであれビジュアル系であれ、自分らしさにある。着る服はその人を表すのだ。わたしたちはファッションで帰属集団を示し、主流派になる気はないという意思表示をしている。ブランド服と古着が混ざり合ったワードローブ及びインディーズブランド服は、わたしたちの真のアイデンティティーを表すために不可欠であり、結局それがサブカルチャーのファッションアイデンティティーにつながる。サブカルチャーとはライフスタイルであり、そのジャンルの装いはそのカルチャーの一部となる。しかし、常に全タイプの服を安く提供できるファストファッションでは、自分らしさをありありと物語るような服選びに夢中になる楽しさが失われているのではないか?1クリックで、パンクについて何も知らなくてもフル装備のパンクファッションに変身できる。オンラインでヴィンテージブランドそっくりの服を安く買えたりもするが、それでは古いものでファッションを楽しむという本質を無意味にしてしまっている。ファストファッションの安物を衝動買いする傾向がある今、ちょっとしたブランド物の小物と組み合わせたベーシックなコーディネートになってしまっている。ファストファッションブランドが、衝動買いとフェイク人気の追い風を受けファッション界のトッププレイヤーになりつつある中、日本のサブカルチャーであるストリートファッションはその地位を退屈なフェイクファッションへ譲り渡してしまうのか? ロリータとギャルがH&MやForever21などのファストファッションブランドとは無関係に生まれたサブカルチャーな一方、デコラファッションは予算内で楽しむストリートファッションの良い例だ。2000年代初め、ファッションに敏感な原宿の若者は腕や、ぱっつん前髪につけるアクセサリーをお手頃価格の店で購入した。デコラの着こなしは、全部違うデザインの 「カワイイ」 ヘアクリップ20個以上、色とりどりのTシャツ、スカートの重ね着で成り立つ。高級ブランドやデザイナーのものではなく、誰でも買えるチープなアクセサリーなのがポイント。チープな服をどっさり買って着こなすことがデコラらしさであり、着る当人自身がサブカルチャーの一部だ。デコラファッションは、ファストファッションのアイテムを、最もゴキゲンな自分になれるように組み合わせたり重ねたりして自分らしくなれることを教えてくれる。もしそうなら、高価なデザイナーズブランドの服を細かく調べてみたり、いずれ飽きてしまうような1着の古着を探すのに何時間もかける必要が本当にあるのだろうか? ファストファッションブランドから選りすぐったワードローブでおしゃれを楽しむことは、決して手に入らない服を買うために長期間貯金するよりも無難な方法だ。こうして今や日本のストリートファッションは、以前よりもずっと幅広い層の人々にとって安く手軽に楽しめるものになっている。 しかし、安価な服を大量生産して売るには代償が伴う。ほとんどの業者は自社製品を、危険な労働条件や児童労働といった問題を抱える国々で生産している。また、ファストファッション業界は世界第3位の環境汚染産業であり、地球全体の温室効果ガスの10パーセントを排出している。全世界で自然災害が増加している今、環境に優しく包括的だなどと偽って操業するファストファッションブランドで買い物をすることは無責任だ。Shein (シーイン) で1回ショッピングすれば、現代版の奴隷制度をその場で支援したことになる。チープな服に、工場で働く人の人生やその尊厳をおとしめるほどの価値があると言えるのか? ファストファッションは、ハイブランドの低品質コピー商品を安く販売してデザイナーを困らせることでも有名だ。多くの業者は日本のデザイナーズブランドのような高品質なものを生産できないため、商品はよくコピー品と見られる。デザインの盗用は最悪の場合、独立系デザイナーを失業や深刻な財政危機に追い込むこともある。これは原宿でも大きな問題になってきたが、買い物客は気付かないか、特に気にしないかのどちらかだ。日本や諸外国でのファストファッション店の急増は、粗悪品の過剰消費を招いた。存在しない労働者の権利、増え続ける環境汚染と人気のノームコアファッション。この状況での勝者はいったい誰か? 他方で、ファストファッション不在の世界はわたしたち消費者にとって損失だ。次のような理由から、わたしたちがデザイナーズブランド服を買おうとしたところで、ほとんどの服は買うことができない。まず値段がものすごく高い。低所得の家庭の予算をはるかに超えた額なのだ。また、排他的に見せることによってブランドイメージを高めたいという独自の理由のため、店には限られた数の服しか入って来ない。それに、会社勤めや忙しい生活の人は店に行く時間が常になく、やっと行けるようになった時にはセールが終了している。また、住む場所によっては自分にとってのドンピシャ服をただの1着も買うことができない。なぜならデザイナーズブランド品の多くには発送についての厳しい制限があるからだ。さらに、ショーのモデルたちを見たり竹下通りでショッピングしてみれば分かることだがデザイナーズブランド服は小さめのサイズか、はたまた1サイズ
考察: 対面でのイベントはこれからもあるのだろうか?
パンデミックから2年間が過ぎ、私たちは皆、物事が日常に戻ることを心から望んでいる。いわゆるニューノーマルではなく、大きなイベントにマスクやソーシャルディスタンスなしで参加できる、そのような日常のことである。思い出せる限りでは、イベント業界で主流だったのは対面交流だが、新型コロナウイルスはまったくこの対極にあるのだ。イベントは対面のものからバーチャルなものに置き換えられたが、バーチャルイベントは何回かで飽きがきてしまうものではないだろうか? だがその一方、新型コロナウイルス環境下での対面イベントには、だれも望まないリスクがある。新型コロナウイルス以前の素晴らしい日々にいつかは戻れるのだろう、あるいはバーチャルのままで行くのだろうか? 予定されていたイベントにパンデミックが影響を与えたことは否定できない。対面イベントがいたるところで延期されたことで、業界は完全にお手上げ状態になった。それに加えて、私たちのイベントに対する考え方も急激に変化した。多くの人たちと閉ざされた空間にいることが心地良かったのだが、真逆に感じるようになってしまった。以前は大きなパーティーで元気をもらったり、好きなミュージシャンのコンサートライブを見たり、すし詰めのアニメコンベンションに行ったりする最高の時間があった。新しい経験をもたらす対面イベントは人々に愛されていた。しかし今日では、新型コロナウイルスの心配なしで人に出会うことができなくなっている。 Image courtesy of EDM Identity. この困難な状況の中、イベント主催者は参加者の健康を優先しながら、 対面イベントを開催するうえで創造性を発揮することができた。ソーシャルディスタンスを保ったドライブインコンサートから、指定されたボックスシートと感染防止用のプラスチック製の衝立まで、この困難な時期に業界ではいろいろな取り組みを行ってきている。しかし正直なところ、以前とは異なる対面イベントを実施する意味は何なのか? 安全な家にいればいいのに、わざわざイベントに行く必要があるのだろうか? 単に現状を受け入れるべきなのだろうか?
考察: eガールを守るために
今のインターネットにおける三位一体メンバーをご紹介しよう。『Instaバディ』、『VSCOガール』、新登場の『eガール』だ。eガールは濃いめのチークを多用し、チョーカー、白黒のボーダー柄、濃いアイライナー、バンビのように大きな目、虹色の髪で知られる。だが彼女たちはセルフィ―を投稿するだけではない。ウェブで活躍する知られざるヒーローなのだ。逆に、彼女たちの高まる人気が面白くない人もいる。彼らがeガールに目くじらを立てる要因は、根拠のない敵意や真っ当な理由のある恨みではないだろうか? YoutuberのCorpse Husband (コープス・ハズバンド) が言うようにeガールはあなたの人生を破滅させるのか、それとも予想もしなかった活動を広める社会を救うヒーローなのか? ちなみに、なぜeガールはネットで嫌われるのだろう? その名は特に変な呼び名でもなんでもなく、単にネットゲーム好きの女子を指す。しかし裏の意味は、男の気を引くためなら何でもする女、である。実際その通りで、多数のeガールが熱心な男性ファンにオンラインで自分の写真を販売したり、TwitchによるライブストリーミングやYouTubeの動画を配信して利益を得ている——多くの場合、セックスがセールスポイントだ。ゲームコミュニティメンバーの多くはeガールに眉をひそめ、「真のゲーマーではない」とすぐさま攻撃する。eガールの定番スタイルがミームになることすらある。グリーンの髪と極太アイライナーはさんざん物笑いのタネにされた。だがそもそも、彼女たちを許せないのは男の妄想を利用してもうける点だけではなかったか? さらに言えば、eガールの「ドン引き」ファッションをイジるのは嫌いだからというより、本当はこっそり着てみたいから、なのでは? Image courtesy of Elle. ファッションと動画配信はさておき、eガールの中には有名なデジタル・アクティビストもいるが、それってスゴいことではないだろうか?
考察: セックスについて話をしよう
『Sex and the City (セックス・アンド・ザ・シティ)』が復活。リブート版の発表? それともリバイバル? とにかく、このドラマはHBO Max (動画配信サービス)で10話分が放送される予定だ。物語は『Sex and
考察: 不気味なものが好きっておかしい?
友だちが犯罪ドキュメンタリーに (ほとんど病的に) ハマっていたら心配するべき? ホラー映画の流血シーンは楽しむべき? たじろぐべき? 「これヤバいって!」なんて叫んだりもするが、内心はゾッとする感じを味わいたくてたまらない。「不気味」なものとは、定義によれば、気持ちを落ち着かなくさせたり、不快な恐れの感情を引き起こしたりするものだ。「目が死んでいる」ような人だったり、『キャッツ』(2019) の全キャストだったりする。魅力的なものに、ゾッとさせられることもある。では、なぜわたしたちは不気味なものが好きなのだろうか。 多くの心理学の専門家が、人間はぎょっとするようなものを見たときに起こる感情のほとばしりを強く求めていると認めている。恐怖は闘争・逃走反応を引き起こし、それが体内のアドレナリン放出、つまり感情のほとばしりを引き起こすのである。人間はひそかにスリルを求める存在なのだ。ジェットコースターに乗ってドキドキしたり、ホラー映画を観て心臓が跳ねたりするのも大好き。おそらくこういったスリルに病みつきになっている。なぜならそこに本当の危険はないと知っているから——ジェットコースターには安全性テストが行われているし、映画の殺人鬼は役者だ。同様に、インターネットでなにか不気味なものを見たときも、わたしたちはアドレナリンの上昇を経験する。 『リング』、『呪怨』、『オーディション』 ——日本は素晴らしいホラー映画で有名だ。 また心をかき乱すようなものは、無意識の欲求や恐怖症を活性化させる。血は暴力に惹かれる気持ちを、殺人や幽霊は死への恐怖を駆り立てる。日常ベースでは、これらの話題について論じることはおろか考えることすらないが、例えばホラー映画を観ると、気持ちを揺さぶられる。現実離れしたこの体験は、暗い話題について安全な領域で思いを巡らせるきっかけになる。 『リング』、『呪怨』、『オーディション』——日本は素晴らしいホラー映画で有名だ。不気味なトーンは特定の日本のストリートファッションでも見られる。ステレオタイプの「カワイイ」に飽き、疲れ果てた90年代の若者たちは、カワイイの正反対となるような新しいスタイルに向かった。それが「グロかわいい」と「キモかわいい」だ。「グロかわいい」のマスコット的存在は「グル〜ミ〜」。血まみれのイラストキャラクターで、人間を食べることしか頭にない。「キモかわいい」はブサイクで変てこなバージョンだ。必ずしも怖いとか、血まみれである必要はなく、「美しくない」ということにフォーカスしている (ぐでたまのおしりや『こびとづかん』のコビトたちなど) 。「グロかわいい」と「キモかわいい」によって、可愛いらしさとゾッとする感じの対立にわたしたちは遭遇する。2010年代には「病みかわいい」がここにメンタルヘルスの視点を加える——手首に傷のあるキャラクターや、錠剤と注射器柄のグラフィックTシャツは、新たな「不気味」であった。 「グロかわいい」、「キモかわいい」、「病みかわいい」は全て、不気味さの様々な様相をめぐるサブカルチャーファッションだ。「病みかわいい」は今もわたしたちの暗い部分に訴えかけてくるが、「グロかわいい」や「キモかわいい」と違って、流血や一般的な美的感覚に反する要素は必ずしも含まない。最新の「クレイジー・ジャパン」のトレンドを掴み、「Refinery29」や「Business of