大型ファッションビル、夢は大きく。ラフォーレ原宿と渋谷109の重要性
東京に昔からあるファッションビルの双璧、ラフォーレ原宿と渋谷109を知らない人はいないだろう。今や旅行者はもちろん、地元の人々にとっても不動の人気を誇る双方がこれほどの成功を収めたのは、単なる偶然ではない。ラフォーレが、原宿を「ファッションの街」にするための特別なこだわりを通してきたのはご存知だろうか? 渋谷109は、オープン当初は客足も少なく業績不振であったが、ESPERANZA (エスペランサ) のプラットフォームを身につけたスーパーヒーローのようなギャルたちが押し寄せ、危機を脱することができた。
ラフォーレ原宿
1977年まで原宿で最も人々の関心を集める場所といえば、参拝客数が例年平均5000人の明治神宮だった。だがたちまち全てが大きく変貌する。1978年、神宮前交差点にあのラフォーレ原宿がオープンし、あっという間に原宿は「ファッションの街」と呼ばれるようになった。でも、どうやって? その理由は思ったよりも深い。「ラフォーレ」という名前はフランス語で「森」を意味する “La forêt” から来ている。森というものは1本1本の木で構成されることから、木々 (各テナント) からできた巨大な森 (ファッションビル)、というコンセプトで構想が進んだ。木が育つと森全体が広がる。こうして出来たのが、ラフォーレをベースに芽吹いて育つ豊かな森という原宿のイメージだ。この考えでは、ラフォーレが成長すると新店舗の開店も増え、結果として原宿の街が発展する。
コミュニティーはラフォーレに不可欠だった。運営責任者やショップスタッフが、地元のショッピングエリアにおける原宿クリーンアップ運動や防犯パトロールのような、草の根レベルの都市開発の取り組みに参加した。当時の原宿は、現在のようにフリフリの服を着た女の子が安心して歩ける街ではなかった。危険な脇道を減らすためラフォーレが防犯パトロール活動を始めると、すぐに町会や都議会も動き出した。
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「ファッションの街」と呼ばれる原宿は、決して偶然生まれたわけではない。ラフォーレは、集客目的で「ファッションの街、原宿」というフレーズを地元の全商店が発行する名刺やカレンダーに入れてもらう提案をした。このブランディングは大成功! 「インキュベーション (孵化)」というビジネス手法も実践した。若い才能あるデザイナーを見つけ、彼らの財政状況に関わらずラフォーレ内の販売スペースを提供する事業だ。1987年には新進デザイナーたちによる厳選された商品が並ぶHYPER ON HYPER (ハイパー・オン・ハイパー) を開店。同様のプロジェクトとして、世界のデザイナーを世間にアピールするため1997年にL FACTORY (エルファクトリー)、2004年にSIDE BY SIDE (サイド・バイ・サイド) も開店した。
ラフォーレは、原宿におけるファッションの第一線で活躍しつづけるため、リピーター客を増やすための革新的な方法をあみ出した。ここでクイズ。大学生、J-POPアイドル、ラフォーレのテナント。以上3つに共通するものは? 答えは「卒業」! マンネリを打破するため、記録的な売り上げを達成したりラフォーレに似合わず「大きくなり過ぎた」ブランドは、ラフォーレを「卒業」して新たなデザイナーに道を譲る。そしてもちろん、東京ストリートファッションの中心的存在として、オルタナティブファッション愛好家たちの要望も満たす。地下フロアにはANGELIC PRETTY (アンジェリックプリティ)、ALICE AND THE PIRATES (アリスアンドザパイレーツ)、METAMORPHOSE (メタモルフォーゼ)、MIHO MATSUDA (ミホマツダ) などのロリータ系ブティックが多数並ぶ。
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渋谷109
ラフォーレから20分歩くと渋谷109 (「イチマルキュー」あるいは「マルキュー」とも呼ばれる) に着く。1979年にオープンし、渋谷駅からすぐの場所にある。渋谷109のようなモニュメントのおかげで、今や渋谷はギャルの聖地となっているのは皆が知るところ。ただし当初このファッションビルには、ギャル向けの商品が全く売られていなかったのだ!
開店してからの10年間を知る人はほとんどいない。当時の109はファッション面で人気の場所というわけではなかった。ところが90年代初めにギャル人気が高まると、ギャルたちはME JANE (ミージェーン)、LOVE BOAT (ラブボート)、ESPERANZA (エスペランサ) のブランドを求めて109のテナントに吸い寄せられてゆく。これらのブランドはヘソ出しTシャツ×ミニスカート、超厚底のプラットフォームサンダルのセクシーな夏色ファッションを得意としていた。そこで109のオーナーはある考えを思いつき、90年代半ばに全店大改造を実施。多くのギャルファッションのテナントを呼び入れた。その結果ギャル志望者は渋谷へ殺到し、109の外には入店待ちの行列ができた。彼女たちは、店内にある服ならどれを着ても「ギャル」に変身できると信じていた。
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ラフォーレと同じく109にも、買い物客をショッピングの虜にするための秘策があった。例えば店のスタッフはギャルのファッショニスタで、「スーパーカリスマ店員」と呼ばれていた。彼女たちは店の通常業務をこなすだけでなく、ギャルブランドのPRもする。ギャル初心者たちは、姉から教わる妹のごとく素直に店員のトレンドアドバイスを受け入れた。スーパーカリスマ店員がギャル系雑誌にブランドアドバイザーとして載ると、それを見たギャルが大挙して109に押し寄せるのだ。ブランドオーナーも (ここが抜け目のない所だが) 販売・マーケティング戦略の参考にとスーパーカリスマ店員の提案にじっくりと耳を傾ける。これはそのままボトムアップ型ビジネスモデルだ。こうして109はギャルのチョイスを頼りに急激な変化をとげ、時代の最先端を走りつづけた。渋谷のファッションを支配してきたのは少女たちだ。雑誌編集者や大手ブランドなんかじゃない!
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ラフォーレ原宿と渋谷109の重要性は今も変わらない。ショッピングの2大メッカであり、これらを起点として「ファッションの街」である原宿と渋谷がブレイクしてオルタナティブファッションが育っていったのだ。ロリ―タは地球のどこに住んでいようと、ラフォーレの写真を見せればラフォーレ原宿だと即答するだろう。渋谷109でギャルが、たとえ目隠しをされたとしてもLIZ LISA (リズリサ) までたどり着けるのと同じように。
ショッピングの話をしていたら、ラフォーレや109に行きたくなりましたよね。ラフォーレと109、どちらがお好き? 理由も教えてください。
Written by Ash, translated by Tomoko.
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