Author: The COMM

つけまつげ、パラパラ、ミニスカート、そしてルーズソックス。ギャルほどわかりやすい象徴的なファッションがあるサブカルチャーは、ほとんどない。しかし1人のモデルがこのファッションの限界を大きく押し広げている。ぴかりんは古き良き女学生の外見そのものから、『KERA (ケラ! ) 』のモデルとしてアニオタギャルに変身。その後、デスメタルを歌い始めた。魔界からやってきた魔界人、椎名ひかりの世界へようこそ! 引きこもりでホラー映画好きだった椎名ひかりは、2009年に雑誌『Ranzuki (ランズキ) 』で、ぴかりんとしてギャルデビューを果たした。この普通の中学生は、地味なファッションから、長い茶髪、日焼け、デニムショートパンツ、そして派手メイクの完璧なギャルに変身することに決めたのだ。彼女は急激に人気を得、2010年からは雑誌『POPTEEN (ポップティーン) 』と『EGG (エッグ)

ストリートスナップは楽しく、人を元気づけ、その上に時代を超越している。もともとSTRAIGHT UPS (ストレートアップス) と知られていたストリートスナップは、70年代の英『i-D magazine (i-Dマガジン) 』による造語で、90年代に『FRUiTS (フルーツ) 』による日本のストリートファッションの写真撮影で爆発的に人気が高まった。突然、だれもが写真を撮ってもらいたくなったのだ! 服装にだけ注目することで、自分のファッションが間違いなく永遠に記録されるのだ。現在でも、ストリートスナップは相変わらず重要であり、日常で人が何を着ているかについて見せてくれる。スナップ写真を撮ってもらいたくなっただろうか?

VOL.5第2号 「@ima.gram」 へようこそ わたしたちは「今」にフォーカスしています。まさに今ここで、ストリートファッションには何が起きているのでしょうか? 「@ima.gram」 とは何でしょう? 日本語の 「今」 とみんながお気に入りのアプリ Instagram の複合語です。『The COMM』 では21世紀におけるその存在感を考えてみました。全てが一瞬のうちに処理されることが求められている時代です。オンラインショッピングで欲しい物は最短で届くし、新しいトレンドも今すぐ着たい。最新画像なら今撮ったばかりの写真、といった感じ。実際わたしたちはアルゴリズムによる処理を待つだけなのです。 ここ数年で、日本のストリートファッションは以前にも増して広く海外に知られるようになりました。人々はSNSやネットのおかげで共通の趣味でつながることができます。これは、東京で新しいトレンドが生まれたら近いうちにロンドンでも同じ流れが起こるということです。ストリートファッション愛好家のコミュニティーはこうした通信ネットワークの機能によって飛躍的に増加しました。 ときにインターネットおよび特にTikTokは、流行の制御不能な負のスパイラルももたらします。新たなトレンドが、メインのファッショニスタによって紹介されたと思ったら翌週にもうそれは流行遅れの扱いになったりします。これには誰もついて行けません!

個人の創造的表現は、サブカルチャーファッションの神髄だ。時として、ファストファッションの服ではできない方法で、自分を表現したいことがあるだろう。だれもが同じブランド (ZARA、あなたのことですよ! ) で買っているとしたら、どうやって目立ったらいいのか? そのためサブカルチャーファッションのサークルでは、この問題と取り組むために、服とアクセサリーがよくDIYされている。 ここで言うDIYは、ブリコラージュ (フランス語でDIYの意) のコンセプトを指しているが、クロード・レヴィ=ストロース氏による人類学的概念では「手元にあるものを使い、新しい何かを創り出すスキル」を意味している。つまり、これは基本的にDIYのことだ。でも、そこには少しだけ深い意味合いがある。この場合、対象物だけでなく、意味にも手を加えるのだ。DIYすると、対象物に新たなイメージを与えて作り直すことで、自分のアイデンティティーを作り出せる。しかし、これが一体ファッションにどのように関係するのだろうか? あるやり方で何かを身につけると、その意味を変えることができる。その結果、自分の物語に意味を加えることができるのだ。安全ピンを例にとってみよう。これの目的は2つのものを1つに合わせことだが、パンクの手にかかると新しい意味を持つ。もともと物にこだわらずハンドメード品を使うパンクファッションでは、初め安全ピンは実用的に使われていた。つまり、バラバラになった服を直すためだ。しかし時間が経つにつれ、この小さなピンは、労働者階級のパンクたちの象徴的なシンボルとなっていった。   Image courtesy of

「ヴィジュアル系」 は大げさで中性的なスタイルと表現されることが多い。グラムロック、パンクロック、歌舞伎の影響だ。X Japan (Xジャパン)、BUCK-TICK (バクチク)、D’ERLANGER (デランジェ)、Color (カラー) の人気に伴い80年代に爆発的ブームとなった。日本独特の名だたるサブカルチャー・ムーブメントの1つだ。パフォーマンスは派手で、奇抜なヴィジュアルをもっと過激にするためにメンバーがさまざまなキャラクターに扮することもある。おどろおどろしいメイクの吸血鬼がライブで歌うのを想像してみて。ヴィジュアル系がどのように生まれたのかを見てみよう。 X Japanはヴィジュアル系の先駆者とされている。この革新的なバンドはリーダーのYOSHIKIによって結成された。彼はKiss (キッス)、Sex

ええ、皆さんが考えてることは分かります。編集長がイギリス人だから 『The COMM』 には英国バイアスがかかっていること、認めます。でも、これから話す事は重要だからよく聞いて! 日本のストリートファッションの豊かな発展は、狭い世界の中だけではあり得なかったはず。なぜなら1940年代から原宿には、クリエイティブなシーンに大きな影響力をもたらす海外のコミュニティーがあったからだ。輸入品と好奇心旺盛な若者の組み合わせは大成功を収め、日本のストリートファッションが侮れないファッションの力であることは今や周知の事実だ。ストリートファッションと原宿エリアの形成に貢献したさまざまな流れについて調べてみると、ロンドンや、イギリス人デザイナーたちの名前が頻繁に出てくる。有名な『FRUiTS』 誌の創刊者である青木正一氏は、重要なインフルエンサーとしてChristopher Nemeth (クリストファー・ネメス) とVivienne Westwood

原宿を特徴づけるストリートファッションを思い浮かべるとしたら、それはデコラと言ってよいだろう。誰でも、はるか遠くからでもこのファッションを見つけることができる! デコラファッションは色彩とアクセサリーの爆発だ。これは原宿の活気に満ちたスピリットを見事に具現化している。このファッションが生まれた経緯は少し複雑で、そこには矛盾に満ちたストーリーがある。記事を最後まで読んで、どのようにデコラファッションが現在のようになったかを学んでいこう。 「デコレーション」という言葉から生まれたデコラは、1990年の終盤に、原宿の街角に現れたカラフルで陽気なファッションだ。どのデコラファッションでも特に目立つのは、100円ショップのヘアクリップや腕いっぱいのリストバンドなどのアクセサリーだ。普通の化粧ではデコラには地味すぎるので、代わりにシールやストーンがファッションの盛り上げ役となっている。通常、身につける服はハンドメイドだが、ファッションをブランドで統一するならそれは間違いなくSUPER LOVERS (スーパーラヴァーズ) 、そしてもちろん6%DOKIDOKI (ロクパーセントドキドキ) だ。   Image courtesy of wattention.com 1995年、増田セバスチャンにより創立された6%DOKIDOKIは、原宿のファッションと文化において定番となっている。きゃりーぱみゅぱみゅに詳しい人なら、ヒットシングルの「PONPONPON」のミュージックビデオの裏側にいるクリエーティブディレクター兼スタイリストの増田セバスチャンを知っているだろう。6%DOKIDOKIは常に最高でとても素敵な洋服を供給してきているように聞こえるが、ショップ開店当時の状況はまったく違っていた。増田は自分と友人のアート作品を販売する目的で店を開いた。しかし、このベンチャービジネスが失敗に終わったとき、方向性を完全に変えた。古着と東京人が後に洋服に取り入れた雑貨類の販売を始めたのだ。おもちゃからリボン、そしてカーテンなど、あらゆるものがアクセサリーになり、ファッションとして生まれ変わったのだ。増田によると、これがデコラの始まりだった。このファッション人気の高まりを見て、増田は若者ファッションのニーズを満たすアクセサリーを創り出し始めた。 Featured