アンチヒーローとヴィラン: その違いとは?
誰でもスーパーマンやドラゴンボールの悟空のような完璧なスーパーヒーローが大好きだ。The Boys (ザ・ボーイズ) やJack Sparrow (ジャック・スパロー) のように精神と倫理感があやふやなアンチヒーローも、ちょっと楽しいものだ。残念ながら、たいていの場合、アンチヒーローとヴィラン (悪役) は混同されている。アンチヒーローはヴィランではなく、同様にヴィランはアンチヒーローではないのだが、どうやって両者を区別したら良いのだろうか?
Image courtesy of Fernan Dohko via Deviant Art.
まず、アンチヒーローとは何者なのだろう? Captain America (キャプテン・アメリカ) や聖闘士星矢のような献身的で正統派のヒーロー、いかにも善人である主役だ。そして、Deadpool (デッドプール) やエレン・イェーガーのように何をしでかすか分からない、いわゆるアンチヒーローが存在する。アンチヒーローは道徳的に複雑な考え方を持ち、人格の中心にはヒーローとして当然の資質が欠如しているのだ。人の見方にもよるが、Deadpoolとエレン・イェーガーの振る舞いをヴィランだと考える人もいるだろう。彼らは自らの正義、道徳の指針、そしてイデオロギーに基づく目的に突き動かされている。アンチヒーローは高尚な目的を持っているとは限らないが、最後には「正義」を行うのだ。
不当な暴力を好む傭兵を職業としているにも関わらずDeadpoolがまれに行う善行、そして、エレン・イェーガーの強い忍耐力や、真の自由のために目の前に立ちはだかるものはすべて破壊する絶対的な非情さについて考えてみよう。彼らの問題行動と型破りな態度にも関わらず、2人のキャラクターを応援せずにはいられないだろう。
Image courtesy of Attack On Titan.
そして次にヴィランたち。Cruella De Vil (クルエラ・ド・ヴィル) や『BLEACH』の藍染を思い浮かべてみよう。ヴィランを特徴づけるものとしては、悪意ある行動と邪悪な動機、そして人を傷つけることなどがある。観客として、彼らの身勝手で邪悪な行動に共感はできない。ヴィランは単に権力のために力を欲しており、自らの問題にしか興味がないため、非常に自己中心的だ。『ハリー・ポッター』シリーズのVoldemort (ヴォルデモート卿) や『スターウォーズ』のEmperor Palpatine (パルパティーン皇帝) に、共感するだろうか? それはないだろう。彼らは1人として欠点を埋め合わせするほどの長所を持ち合わせていない。全くないのだ。彼らは根っからの邪悪な存在である。
アンチヒーローとヴィランの違いがやっと分かったと思ったら、今度はアンチヴィランが登場。この多彩な集団にお決まりの複雑なキャラクターが加わることで、定義をはっきりさせることがますます難しくなる。アンチヴィランがヒーローの振りをしていても、ヴィランであることに変わりがないことを理解する必要がある。マーベル作品中の Thanos (サノス)、『ペルソナ5』の丸喜や、『僕のマイヒーローアカデミア』のステインのようなキャラクターを思い浮かべてみよう。これらのキャラクターは、世界を救うあるいはより良くするための「崇高」な大義の元で、悪事を行う典型だ。だが実際のところ、結果によりその手段が正当化されるものではない。ソウルストーンを手に入れ人口過剰を解消するために、Thanosが自分の娘を崖から突き落としたことを正当化できるだろうか? もちろん出来ないはずだ。アンチヒーローでさえ、この最後の一線を超えることはないだろう。
アンチヒーロー、ヴィラン、そしてアンチヴィランの辞書での定義に関係なく、それらの区別がまだはっきりしないところがある。結局のところアンチヒーローとは、分類するのが難しい多次元的な人格を持つキャラクターで、その魅力とは道徳的なあやふやさと不完全さであり、人々はそのなくてはならない特徴にひかれているのだろう。彼らは白黒のはっきりした世界の中のグレーゾーンで行動し、ヴィランとはとても言えない1つの無謀な決断をする。
Image courtesy of Geek Girl Authority.
そうは言っても、アンチヒーローとヴィランには、決定的な違いが1つある。アンチヒーローには一貫しない感情の境界線と相反する道徳規範がある。彼らは、ある一線を越えたくないという思いと、意図せず越えてしまうことについて、心の中で葛藤しているのだ。この、堂々巡りのジレンマあるからこそ、アンチヒーローは絶えず変化し共感を呼ぶ存在なのだ。彼らは世界を救う完璧な方法がないことを分かっているが、それでも何かできることをやろうとしている。確かに、こうした負け犬が問題行動をして、暴力と破壊を引き起こす罪を犯すこともあるが、少なくとも自分がしたことの影響を顧みないヴィランとは違うのだ。
境界と道徳規範は別にして、これは考え方の問題でもある。人はほとんどのアンチヒーローがどこから来るのか理解しているが、われわれは彼らと同じことをするだろうか? 多分するだろう? ヴィランについてはどうだろう? そんなことは絶対あり得ない。同情心を持つことは決してないだろう。アンチヒーローには目に見えるものより多くのものがある。彼らの問題ある決断と行動の陰には、もっともらしい筋の通った立派な目的があるのだ。
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アンチヒーローはヴィランではない。もちろん、アンチヒーローは悪事に手を染めたということで罪があり、定まらない境界線を持ち、道徳規範があやふやで、在来のヒーローのイメージとは異なる。でも完璧な人はいないでしょ? 大事なことは、できることをやって、勝利をもたらすこと。一方ヴィランは、まさに読んで字のごとく。真の悪のキャラクターで、権力のためにはどんな犠牲を伴ってでもひどいことをするのだ。『Wanda Vision (ワンダヴィジョン) 』の言葉を借りるなら、「アンチヒーローとは、いつもうまくやろうとしているヒーローのことである」。
Written by Vania, translated by Toshi.
Featured image courtesy of Screen Rant.