Black Diamond
Black Diamond (ブラックダイヤモンド) は、東京を拠点とするギャルサーで、ギャルファッションを存続させるために精力的に活動している。2000年代初頭にピークを迎えたギャルカルチャーは近年衰退しており、MA*RS (マーズ) などの定番のギャルブランドは稀有な存在に成りつつある。しかし、Black Diamondは、雑誌『egg (エッグ) 』にインスパイアされたストリートスナップを通じて、逆境の中でもギャルカルチャーが存在していくことを証明するために最善を尽くしている! 真っ黒に日焼けした肌、茶髪、パステルカラーのアイシャドウ、派手なコーディネートのようなギャルカルチャーの価値観は健在なのだ! Location:
くれちゃん
平成のファッションへ進出するなら、デコラ抜きでは充分とはいえない。2000年代初頭に全盛期を迎えたデコラは、今も「原宿の本質」を忠実に表現するアイコニックなジャンルであり続けている。たくさんのヘアアクセサリーや重ね着、手作りの小さいアクセサリーが特徴。そして、近年は、本来の手作り精神から離れることや、もっとたくさんのアクセサリーを重視し、デコラは生まれ変わってきた。また、新しいアイコン——くれちゃん——も発見! この独占撮影はデコラが生まれた場所、竹下通りで行った。 今号では、日本のファッションの様々な時代を詳しく調べています。くれちゃんはどのファッション時代から最もインスピレーションを得ますか? そして、その理由は何ですか? 私が最もインスピレーションを受けた時代は2000年前後10年間くらいです。 私が物心ついた頃にはシノラー、ミニモニ、コギャル、デコ電などが流行っていて、TVにも雑誌にも奇抜なデザインが溢れていました。 これまでのキャリアにおいて最も重要なエピソードは何ですか? 2010年にKERAのモデルとしてキャリアをスタートさせた事だと思います。18歳だった当時、原宿で声を掛けられなければ現在この仕事をしていないと思うからです。誰も知り得なかった私自身のキャラクターを雑誌の記事を通して世間に広め、その後の活動に大きな影響を与えてくれました。 モデルのキャリア以外のクリエティブなプロジェクトや情熱について教えてください。 私は原宿系モデルとしてデビューしましたが、雑誌ではデザインやプロデュース企画等 私の中身をフィーチャーした仕事を沢山させて頂きました。モデルとして可愛い子は沢山いるけれど、紅林にやらせたら企画が面白くなる!とプッシュしてくれていた編集さんの先見の明です。 10年経った現在は原宿のシンボルである竹下通りのアーチのデザイン、竹下通りのイベントプロデュース等を手掛けています。アーティストとのコラボレーションは原宿の歴史の中でも初めての事で、とても光栄です。 これからもカラフルに着こなしていきますか? そうですね。色合いに関するこだわりは物心ついてからずっと変わりないので今後もカラフルが好きだと思います。ただ、何を着るかは毎日その日の気分次第です。 ずっと貫いてやる!と思ってスタイルに縛られるのは私のポリシーに反するので、これを伝えるのはいつも難しいです。これからもファッションを楽しむつもりです。 デコラファッションを始めたばかりの人へのアドバイスはありますか? まずは好きなように着てみてください。デコラファッションは人によって着こなしが全く違うアート作品のようなジャンルです。正解も不正解もありません。いまの装飾に物足りないと感じるようになったら少しづつ増やしてみたらいいと思います。 時間が空いているとき、何をしますか? オススメの場所はどこですか? ほとんどの時間を寝たりお絵描きをしたりして過ごしています。私にとって1人の自由な時間がすごく大事で、何かにコントロールされていると心に余裕がなくなっていい仕事が出来なくなると思うからです。たまに出かける時は横浜のカップヌードルミュージアムに行きます。オリジナルのカップヌードルが作れて最高に楽しいです。 将来の目標と夢は何ですか? 何にも縛られず自由に暮らすこと。 楽しく生活すること。 最近一番気に入ったカルチャー的なものは何ですか? それはどうしてですか? マクドナルドのハッピーセット。ついてくるおもちゃが絵本で、金魚の絵本とワニの絵本をもらいました。(ワニはダブったので2冊) 小さい頃から絵本が好きだったので大人になってもまた手にすることができて嬉しかったです。 今月はエミリー・ザ・ストレンジの展示も見に行きました。 マストハブ・アイテムを5つ教えてください。 ブランケット、クッション、iPad、Wi-Fi、牛乳 最後にひとことお願いします。 あの頃は良かった、だからこれからも楽しくなると良いね。 Instagram Location: Purikura
原宿サブカルチャーの誕生
日本のファッションのサブカルチャーは、東京の多種多様なファッションシーンをストリートスナップが知らしめているおかげで、世界中で有名だ。これらのスナップは、とても愛されていた『FRUiTS (フルーツ) 』という雑誌によって広まった。まだ東京のサブカルチャーのファッションスタイルが世界にほとんど知られていなかった1997年、『FRUiTS』の創業者で写真家の青木正一はそのスタイルを雑誌として創刊することを決めた。撮影された有名なスタイルの中にはロリータやギャルも含まれていた。以下は、ファッションのムーブメントの極めて初期から始まり、現在のサブカルチャーファッションの調査で終わる簡単な概要だ。ただし、日本のサブカルチャーファッションは1970年代まで遡り、以下に紹介する以外にもたくさんのスタイルを含む、創成期からずっと進化し続けているジャンルであることを心に留めておいてほしい。 Image courtesy of SukebanDeka. スケバン スケバンは東京で最初に登場したサブカルチャーファッションの1つだ。1950年代から、暴走族はアメリカのバイカーカルチャーを日本風にアレンジしながら実験的に取り入れていた。しかし、残念ながら暴走族は女人禁制だった。呼応するように、1960年代後半に女性だけで構成される暴走族によるムーブメントが始まった。スケバンはセーラー服を、アメリカのスケータースタイルとイギリスのパンクカルチャーから着想を得てカスタマイズした。しかし、日本社会のほとんどから不良と見なされていたスケバンたちは、真剣に社会に反抗していた。武器を携帯し、他のスケバンと喧嘩し、ちょっとした盗難行為をすることもしばしばあった。このようなスケバングループが世界を席巻していた解放運動——1960年代や70年代の性の革命も含む——の一部として反乱を起こしていたことに気づくことも重要だ。現在、スケバンカルチャーはフェティシズムやステレオタイプに歪められてしまったが、このようなサブカルチャーから日本のストリートファッションの世界で最もカッコいい女子を生みだしたという真実は残っている。 Image courtesy of Egg. ギャル スケバンと同様に、ギャルは1970年代前半に伝統的な美の標準への反抗として登場した。このスタイルは英語の「gals」を日本語に翻訳したものから名付けられ、1968年にLEVIS (リーバイス)
田中優
1940年代の日本を振り返ると、着物やその他の伝統衣装が実に一般的であった。しかしながら、現代では洋服が普通となっている。わたしたちは文化的なアイデンティティーが——特に若い世代で——失われるのを心配する必要はあるのだろうか? その必要はないかもしれない。こちらは田中優さん。文化服装学院に在学するこの若いデザイナーは、伝統衣装を別の目的に利用したり、新たにアレンジしたりするだけではなく、ビニールなどの主流ではない生地を使用して、伝統的なファッションを再び創り出し革新する。田中さんに「和」というコンセプトや、日本的美学を新たに考案すること、伝統的なファッションの未来について伺った。 COMMunity (コミュニティー) に自己紹介をお願いします。 こんにちは! 私の名前は田中 優です! ひたすら洋服を作っています。ファッションを愛し、日本を愛してやまない21歳服飾学生です! 田中さんは現在は、名高い文化服装学院の3年生ですね。そこでのアパレルデザイン学生としての生活はいかがですか? 入学当時は同じ目標を持つ仲間たちと出会い、私は負けず嫌いなので、ひたすらに知識、技術、何もかも習得しようと毎日励みました。でも課題は多いので、課題を一つ一つこなしながら、個人案件やコラボレーションなど、両立しながら取り組んでいます。 田中さんの意見では、アイデンティティーの形成において、ファッションはどれほど重要ですか? 私は中学生の時すごく悲しい事があって、それを紛らわすために絵をひたすら描いていた時期があって。でもある時この気持ちを洋服にして表現してみたいなって思って、それからはずっと取り憑かれたように洋服を作ってます。多分、私の作る洋服は私自身だし、鏡みたいに、自分を見ているんだなって思う時があります。 田中さんにとって「和」という言葉はどういう意味ですか? この言葉はとっても重要な言葉です。私にとってこの言葉はファッションに取り入れる言葉でもあるから、デザイナーとしても慎重になります。簡潔に言うなら、日本の心だと思います。 日本の伝統は、若者の間で衰退していると思いますか? 衰退していると思います。若い人達は表面的な日本の伝統文化しか知らないと思います。私は日本のグローバル化に伴い、伝統文化の衰退をテーマにしたコレクションを担当した事がありますが、そういった活動を通し、もっと色々な人に日本の真の美しさ、というものを知ってもらいたいですね。 日本の伝統的な服以外で、田中さんのデザインにインスピレーションを与えるものは何ですか? 現代における社会問題、いわばニュースですね。あまり表に出てない問題とか、以前は現代のネオン街で働く売春婦をテーマに制作したこともあります。私はデザイナーなので、毎日アンテナを張っていなければなりません。敏感にとらえやすいんだと思います。地球の事、環境の事、社会の事、デザインソースはそういった中から受ける事も多いです。 田中さんのデザインプロセスについて教えてください。 インスピレーションを受けたら、すぐに手帳か携帯にメモします。メモには感じた言葉、詩、素材のイメージなどを書き留めます。インスピレーションが歴史的なもの、文化だったり、ある事柄についてだったら、勉強します。図書館で調べる事が多いです。それも、より良いデザインが生まれる為の過程です。 そして素材はイメージに合うものが見つかれば良いのですが、最近はずっと自分でグラフィックを制作し、デジタルプリントをしてメインの素材を作ります。大体作品を1着制作するのに1ヶ月くらいかな。でも製品だと2週間くらいで作ります。 将来の目標と夢は何ですか? 私の目標はファッションデザイナーになって自身のブランドを設立し、世界的に活躍できるデザイナーになる事です。絶対に叶えます。 夢は、草間彌生さんとコラボレーションする事、かな? 笑 私が中学生の時救われたのは、草間さんの作品だったから、何か恩返しできる事がしたい。 最近一番気に入ったカルチャー的なものは何ですか? それはどうしてですか? 映画「蜜のあわれ」。最近見た映画なんだけど、老作家と金魚少女の物語で、家で飼っている金魚が少女となって老作家のおじさまと暮らすストーリーなんだけど、幻想小説をもとに作られてるから、初めから終わりまで、なんだか夢の中にいるような映画。そしてなんといっても作品のビジュアルが好き。おすすめの映画です! マストハブ・アイテム5つを教えてください。 シュウウエムラのリップ、名刺、お茶、充電器、wi-fi 最後にひとことお願いします。 この記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
美人画
昭和生まれの日本のイラストレーター、鶴田一郎さんは、アールデコや美人画などの江戸時代の美術から影響を受けている。伝統と近代的要素を融合させた彼の作品は、現代の美人画と称されている。鶴田作品には、強いけれど繊細、傷つきやすいけれど自信を秘めた魅惑的な女性たちが、心地良い空間に登場する。彼の芸術性に敬意を示す最善の方法は、絹の着物を纏った美しい女性を撮影する以上のものはないだろう。 Model: @kana_tiala_pink Photographer: @misa_kusakabe Shoot direction: @choom.online Styling: @choom.online Written by Kay, translated by
赤を纏う女性
『The COMM』は昭和時代後半の、多くの作品が残っているモデルの1人、山口小夜子さんに敬意を払っている。この撮影では、山口さんの象徴である資生堂の広告を、昭和時代の典型的なファッションである赤い着物で再現している。この撮影のメイク、大胆な色や柄は、人気絶頂だった1970年代の山口小夜子さんの魅力的なエネルギーを捉えたモダンの要素を備え、ハレの日のコーディネートを表現する。 Model: @nfkimono Photographer: @misa_kusakabe Shoot direction: @choom.online Assistance: @ranelagh_harder Written by Cora, translated